2013年1月30日水曜日

旅の喜びを噛み締めた。



スウェーデンでとてもお世話になったグスタフ一家と"再会の約束"をして、お別れをした。

感謝の心でいっぱいだけど、悲しくはない。僕らは絶対にまた会えるから。一度じゃない、何度も。

未来の事はわからないけど、僕がもうそう決めているんだから。僕の人生をね。すべて僕次第。

スペインはグラナダにやってきた。過去にイスラム教徒に征服された際に混じり合った文化が残る美しい街。

その街のある区域、サクラモンテ地区には白壁の美しい家が並び、

その奥には斜面を利用した洞窟式の住宅があることで少し知られているが訪れる旅人は多くない。

山の斜面に作られた家々。街まで降りるのも、街からあがるのもひと苦労。

それでも石畳の道が、どこか優しいような気がする。



ふと、小さな教会を見つけて入ってみた。

聞こえてくる音に導かれてすすむと、小さな教会なのにすくっと立派なパイプオルガンがある。

どうやら練習中のご様子。ここでしばらく足を休めて、優しい音に身体をゆだねて目を閉じた。

教会は考える場所にはちょうどいい。ヨーロッパでは、たまたま見つけるとよく尋ねた。

自分になにかを問いかけたいとき、悩んでいるとき、願い事があるとき。

すべては自分次第だけど、ちょっと勇気をもらう為に、自分の中で踏ん切りをつけたい時に、お世話になった。

日本はお寺だけど、こんな利用の仕方はありなのだろうか。



サクラモンテ地区をさまよい歩いたら、洞窟式の住宅が見えてきた。

発展した市街と隣り合わせで近いにも関わらず、ここでの暮らしの水準は一気に落ちる様が印象深い。

それでも挨拶してくれるおばあちゃんがいて、子供の笑い声が聞こえてくる。

"幸せ"はここにもきっとある。



丘を登っている途中、おもしろい景色に出会った。

あるはずもないようなところに、ソファが景色を見下ろすように置かれている。

"世界の誰かの特等席"

僕の憧れてやってきたここアンダルシアの地の景色を独り占めしている人がいるみたい。ずるい。



僕はグラナダでひとりじゃなかった。フランス人の女の子のクロエ。

ゲストハウスでたまたま出会った彼女は、日本に留学していたらしく日本語もかなり話せた。

料理の学校を卒業し、住みやすい町と働き口を探しながら旅しているクロエ。

そんな彼女の誘いに乗って探検してみた丘で、最高の景色に出会えた。



アンダルシアのなだらかな稜線を描く山々の峰に、奥の高い山は雪化粧している。

木々の背は高すぎない、可愛らしい木陰を形づくる程度の大きさ。

動くとうっすら汗ばむような気温に、風が涼しく通り抜けると、地面の草がなびく音がする。

最高のピクニックポイントだった。

その昔は、羊飼いが歩いてこんな山々を越えていたんだろうなとか、思いを巡らす。



タンポポみたいな綺麗な花が絨毯みたいに広がっていて、ごろんと横になった。

「もう動きたくない。」そんな気分になるほど、僕はここがすきになった。

トリップアドバイザーにも地球の歩き方にも載らない場所。そんな僕の大切な場所。


 持ってきてたみかんが美味しかった。きっとここだけの味。青空に味はあるんだろうか?

青空にかざしてみたみかんが意外に絵になった気がしてびっくり。

酸っぱさが口に広がるのをゆっくり感じながら、ひとつひとつ大事に食べる。


 どうして外国の人はこうも絵になるのだろうか。カメラのレンズを覗きながらそううらやましく思った。

 クロエの髪の毛のカールがふわふわして、風になびくのが可愛くて、綺麗だった。

僕らの丘探検はその後もしばらく続いた。


スペインでは街の街路樹としてみかんが植えられているのを目にする機会が多い。

さっきのみかんは買ったやつだけど、公園の木になってたやつを一個ちょうだいした。

酸っぱかったけど、食べれるくらいになっている。スペインはみかん食べ放題ですか?

僕が勘違いして捕まる前に誰か教えてください。。。


ランチにスペイン語も話せるクロエがおすすめの料理を注文してくれた。

さっぱりとした小麦色の美味しいビール。サービスとしてついてくるタパス。

安くいただける生ハムの数々。いろんなトッピングがされた可愛らしいバゲットとディップ。

日本では高いものがこんなにも一般的に、軽く食べられるのかとスペインに嫉妬しちゃうよ。


さて、夕陽にあわせてグラナダが有名である理由の大きなひとつ、アルハンブラ宮殿を尋ねた。

世界史の教科書で知ってから、行きたいとずっと憧れていた場所。

イスラム建築の最高傑作。キリスト教徒がレコンキスタでスペインを奪い返した際に、

この建築物が美しすぎて壊せなかったという程の彫刻とはどんなものだろうかとずっと思っていた。


魅力的な庭園だった事に間違いはない。

ここで僕はドイツやオーストリアでは雪のせいで見られなかった光景に出会った。

"ベンチで人が寝ている。" "さっきからずっと同じ場所にたたずむ人がいる"

最初はそれを笑いつつも、ふと、自分のほうが間違っているのではないかと思わされた。


「彼らより僕はここの雰囲気を楽しめているだろうか?」という疑問。

ツアーで歩き回る人に比べたら、僕のほうが好きに時間を使っている。

でも、せかせかと歩き回っているのはどちらも共通。

新しい景色との一瞬一瞬の出会いを楽しめてはいるが、、、

目をつむって休むその人は何を感じているだろうか?

同じ場所にずっと座るその人はなにを見られるのだろうか?

そういえば旅に関しても、おんなじような疑問を問いかけた事が多々あったな。


庭園のつくられた意味を、それがつくられた当時の人の気持ちで考えてみた。

手入れの行き届いた広い庭が、歩いて楽しまれた事にもちろん異論はない。

悩みを抱えてひとり歩く事もあれば、好きな人と、客人と会話をしながら歩く事もあったのでは。

それとは別にきっと一番好きなベンチがあったに違いない。一番好きな景色があったに違いない。

時間が過ぎるにまかせて、もの思いにふけった時もあるだろう。

「使い方に正解なんてない。ただ横になるのも、ずっと動かずいるのもおかしい事ではないんだ。」

そんなふうに思い直した。昔の人は、僕らが観光出来るようにつくったわけではないんだから。

そんな当たり前なことを僕は忘れていた気がする。

美しい夕陽を見ながらアルハンブラ宮殿を後にし、その楽しい一日は暮れていった。


その夜、眠る前に僕はその日の出来事を振り返って泣きたくなった。

それは"悲しい"からではなくて"嬉しい"からだった。




スウェーデンを出てからひとりに戻った時、本当は僕は不安に押し潰されそうになっていた。

再出発できる幸運や旅のワクワクよりも、不安や恐怖がこころを半分以上に占めていたのだと思う。

盗難にあい、荷物を失った時の目の前が真っ白になっていく感覚がトラウマのように残っていたし、

手持ちの現金以外にお金がない事の不安さ、スペイン、モロッコの治安問題も僕の不安をかき立てた。


その不安から脱したきっかけは、"偶然の人との出会い"。

そしてそこからつながった"心動かされる風景との出会い"。

このふたつのおかげで、その日の夜に布団にくるまりながら"旅できることの楽しみ、幸せ"を切に感じてた。

アンダルシアの風景に抱かれた時にも、叫びたくなるくらいに気持ちははじけてた。


不安の足枷は、思いもなく簡単に外れた。

「僕は旅がまた出来るんだ。こんな出会いに恵まれて、こんな風景にまだ出会えるんだ。帰国しなくてよかった。」


僕にとってグラナダが離れた今も大きく感じるのはなぜだろうな。

きっと"グラナダの魅力""旅の魅力"がかけ算になって、かけがえない記憶として僕に刻み込まれたから。

こうして僕はまた旅の喜びを噛み締めたのでした。

スペインに関しても書きたい事はまだあるけど、残りの旅の日数の関係でひと記事にておしまいにします。

あしからず。




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2013年1月26日土曜日

夫婦である前にカップル。




スウェーデンの長くて寒くて暗い冬。

午後3時には街は暗くなり、外出の準備ができたくらいに、外に出ようという気持ちをくじこうとする。

スウェーデンの人は夏が好き。

冬の夜の長さとは対照的に、夏の太陽の出ている時間は長い。

夜の23時まで太陽が出ていると聞かされたけど、僕からしたらそんな一日中活動出来たら、

へとへとに疲れてしまいそうだ。

「夏のない一年は、恋をしない一生。」そんなことわざがスウェーデンにはある。

厳しい冬が、夏を恋しくさせる。

また人生の別の機会で、スウェーデンの日が沈まない夏を尋ねたい。


でも、冬の気分が沈みそうな空や暗さにも太陽があった。それは街のショーウィンドウに、各家庭の窓辺に。

スウェーデンの家やアパートの多くの窓辺に飾られている多様な種類のキャンドルや星形のライト。

カーテンが閉められている窓などほとんどなく、窓枠から家の中と外の街を、暗い夜道を照らす。

東京の街灯の明かりだけが夜道を照らす様子を思い浮かべると、寂しさと息が詰まる気がした。


お世話になったグスタフのママと、ペペさん。

「あなたはゲストだから。」っていう言葉にそわそわして、

「冷蔵庫のものは好きに食べていいのよ。」って言葉に、アメリカのドラマみたい!と感じ、

作ってくれたママの自慢の料理は美味しすぎて、でもナイフとフォークに慣れなくて、

はじめは素直に受け止められなかったけど、遠慮ばっかりしてしまったけど、

慣れてきたらおかわりもさせてもらったし、席について食べる夕食がいつも楽しみだった。


スウェーデン出国を控えた最後の週末。

普段いるマンションとは別にちょっと田舎に移動したところのお家へ移動。


冬の寒さで凍り付くストックホルムの入り江。

凍った入り江でスケートをしてる子供が遠くに見え、それと一緒に走り回ってる犬が見えた。

厳しい寒さがくれるちょっとした贈り物。僕もおそるおそる氷の上を歩いてみた。

割れるか割れないか、一歩ずつ確かめながら。

でも実は走り出したい気持ちを抑えるのに必死だった。胸が躍った。


冷えた身体を温かい素敵な家が迎えてくれる。

黄色や明るい青に塗られた家は白一面の外の世界にとてもよく映えた。

そんな素敵な家々を眺めたが、家の中はそれ以上に、息をのんでしまう程に素敵だった。


 暖炉に薪がくべられ、パチパチっと音を出して燃える。炭になって崩れる音。

薪を継ぎ足す手間は、この独特の温かさを感じる為ならば厭わない。


グスタフのお母さんが料理を作り出した。さあ今晩の夕食はなんでしょう?

トントントン。野菜が心地よい音を立てて切られていく音がする。

 本当に本当に料理が上手でおいしくて、「料理が得意なんですね!」って言ったら、

「料理をするのが好きなだけよ。」だって。

胃袋で男性の心をつかむってのは本当にあると実感した。


そして将来の僕の奥さんに、"料理上手"より"料理好き"であればいいなと願う。

料理の作る途中や出来に、人の性格も出ると思う。料理をする事はいろんな意味で自分磨き。

 何はともあれ、"料理にかける時間を労力と手間だと思わずに楽しめる人は素敵だ"。

例え、はじめが下手くそでも絶対にうまくなれる。

そのモチベーションを保たせるようにするのが、きっと夫になる僕の役目。

料理を作ってくれたお礼に、お皿洗いは引き受けよう。

手間がかかる料理なら、ふたりで実験するみたいにドキドキしながら出来上がりを待とう。

美味しい料理を口にもぐもぐさせながら、ちょっとくらい下品でも楽しい会話をしながら食べよう。


ペペさんはとってもグスタフのお母さんの料理を褒める。

嫌みもためらいもなく、ストレートに自然に。

「今日の料理も美味しかった。」「素晴らしいね。」

 僕もそんな言葉を心からかけられるような人になりたい。

そんな夫婦になりたい。きっとなってみせる。


 夕食がすんだ後の午後の夜9時頃。ぺぺさんとママが出かけてくると言った。

「どこへ行くの?」と尋ねると「映画を見に行くの。」と。

そのとき、軽く胸をポンッと押された気がした。

"夫婦"という言葉は"親"の意味合いよりも先に"カップル"である。

日本人はもう少し、それを意識してあげるといいかもしれない。

そんなことに気づかされたスウェーデンのとある夜でした。



2013年1月24日木曜日

"Give and Take"

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ニューイヤーパーティーに向けて、不思議なカクテルをふたりで作った。

スウェーデンで起きた盗難事件の後には、嬉しい事、楽しい事が続いた。

スウェーデンで暮らしに染まり、生活習慣を楽しめたのは、"グスタフ"がいたおかげ。


グスタフとの出会いは大学1年の頃の春休みだったと思う。

とある学生団体の国際交流イベントで知り合ってから、何回もコンタクトをとるようになった。

スウェーデンの事には関心があったからか、すごく親しみやすかったし、

グスタフの性格がゆったりとしていて、アニメやゲーム好きで気があった。

そして日本に来てまだ日が浅かったにも関わらず、日本語がとても上手だった事が印象的だったのも覚えてる。

なんせ、その頃の僕は英語なんて話せるレベルではなかったんだから。。。

僕のうちでパソコンゲームもやったし、いろんな僕の友達と一緒に飲み会もしたし、祭りにも一緒に行った。

待ち合わせが大変で、1時間近くおなじ駅で探しまわったり、

グスタフがなにかの集まりに寝てて来なくて、本気で謝ってきたり。いろいろあったな。

彼の日本語学校にフリートークのボランティアにも行って、僕のなかでどんどん世界が近くなってきたんだ。


はじめて"友達"としてちゃんとした付き合いが出来た外国の人が彼だった。

"日本を好きになってもらいたい"

この言葉は僕の大切な人がもともと使っていた言葉だったけど、いまはすでに自分の想いに深く深く染み付いてる。

グスタフが飲んでる謎のドリンクの材料。

グスタフが日本にいた約2年間くらい。

彼の元にスウェーデンから友達がたまに遊びにきていた。

そうなると僕にも声がかかってきて、また別のスウェーデンとの"つながり"が出来た。

左がアレックスで、右がグスタフ。

世界を旅して、最後に日本の友達の元にたどり着いたアレックス。

彼とは一緒に僕の家の近くにあった温泉に連れて行ったり、沖縄風居酒屋で友達と飲んで、

楽器を演奏して、「変なおじさん」の歌を歌って楽しんだ。そして、イケメン。

スウェーデンではアレックスの一人暮らしの家に遊びにいって、おいしいごはん食べて、ゲームしたり映画見たり。

「じゅんが僕を楽しませてくれたように、僕ももてなしただけさ。」

素直に嬉しかった。日本に来てたあの時聞くよりも、数倍嬉しかった。

僕と名前忘れちゃったテンションハイないい奴とラズムス。

写真だと一番右のラズムスも日本を尋ねてきた。

ラズムスとは一緒に大江戸温泉に行って、日本のレトロな雰囲気を楽しんだ。

スウェーデンでは、彼のホームパーティーに混ぜてもらった。

音楽をガンガンならし、女の子たちは踊って、世界中のいろんな銘柄のビールを楽しんで、、、

なんか海外ドラマの中にいるような感じの体験。


そんな騒々しい音楽の中、「日本での体験はほんとに良かったよ。」ってラズムスも言ってくれた。



初めて会ったみんなもすごいフレンドリーで、その場の雰囲気にも一気に溶け込めた。

落ち着いた雰囲気でお酒を飲むのは好きだけど、

ハイテンションでさわいで飲むのも若いうちに思いっきり楽しみたいなと、

そう心底思った、なんだかんだ忘れられない夜。


カールは絵がうまくて、楽器も弾ける。

スウェーデン出国近くになって、グスタフ色に染まったのか、パソコンゲームにちょっとハマっていた。

そして出国前日、そのゲームを全クリして向かった先は年越しに一緒に騒いだカールの家へ。

お酒を飲んでトークしかしなかったけど、それがまた、たわいもない真剣なトーク。

僕に気を使って全部英語で、しかもみんなペラペラ。スウェーデンでは小学3年生から英語を習うらしい。

聞くのに集中するので精一杯だったけど、会話の内容を楽しんだ。

それにみんなワンピースやNARUTOを知っていて、"ビンクスの酒"を僕より日本語で歌えたり、忍術の印ができたり。


最後の楽しい夜、帰宅したのは夜中25時。

次の日、お昼くらいの飛行機だからそこそこ朝も早いのに、ちょっと酔っての帰宅。

スウェーデンでの遊びは、ガッツリ海外の同世代の遊びに混ぜてもらえた貴重な経験。

なんか人生の楽しみの幅が広がった気がするし、スウェーデンにたくさんの友達を作ってしまったから、

また彼らに会いに、一緒に騒ぎに、この国を訪れたい。

きっと僕の人生に深く関わる国になるんだと思う。今後の人生の楽しみのエッセンスがここにも出来た。



アレックス以上にグスタフもまた、僕が彼にたくさんの友達を紹介したように、

スウェーデンのたくさんの友達と、文化と、生活とを教えてくれた。

グスタフの温かい家庭にも迎え入れてくれた。

"GIVE" 僕の与えたものは、とっても大きな "TAKE" になって返ってきた。

そして今はまた僕がお世話になった分、グスタフに、グスタフの家族に、グスタフの友達に

また別の機会で"GIVE"を続けていきたい。

一生続けたい関係って、自然とその繰り返しで続いていくのかもしれない。

ありがとう、グスタフ。これからも一生よろしくね!

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2013年1月19日土曜日

"盗難"されて"得たもの"。

〜個人的旅ハック〜
旅で英語が出来なくてもいいですか?—ダメです。  世界一周ブログ注目記事3位、旅×英語の僕の意見。
日本人宿は好きですか嫌いですか?   海外で日本人が集まる。。。どう感じますか?

〜想い〜
愛はいつも行動の中にある。  昔の恋愛で見えなかったことがすこしづつ見えてきた時。
インドなんて嫌いだよ。    だれがこんな国をすきになる?。。。。。でも、僕は嫌いになれなかった。
夢を見つけた時。       人は夢を探してるのに、本当に見つけたらどんな気持ちになるかな。ぼくは。。。

沈没しちゃえよ、海外で。   日本にも沈没してる人っていっぱいいるよね。その本質はなんだろう?

ある世界一周者のブログの文章。 
僕が世界一周ブログを書くにあたって考え方を参考にしたブログ。
僕のブログが終わる時、僕自身がこんな人間になっていたいし、読む人にもその考えが伝わるように。 

あの日、前の恋人とした約束。
自分の夢はきっと"自分の大切にしてきたこと、大切にしたいこと"を心で知って、
それにそって丁寧に生きることでしか見えて来ない。僕にとってそれは大切な人を大切にすることだった。

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"スウェーデンにようこそ"

クリスマスを終えて、年末はスウェーデンで過ごすことにしていた。

ドイツから飛行機を乗り継ぎ、スウェーデンの友達の家のドアを開けた時、時計はすでに24時を回っていた。

暗さと寒さで増していた心のなかの不安は、友達と会えたことですぐに気にならなくなった。


僕らの出逢いは2年前までさかのぼる。彼は日本語の勉強をしに日本語学校に通っていた。

その出逢いのことはまた別で語ろうと思う。



次の日には早速、スウェーデンの首都ストックホルムの街に繰り出した。

200年以上前に建設された旧市街の街並みは独特の雰囲気を今もまだ放っている。


大砲の砲弾が壁にめり込んだままの建物。人ひとりが通るので精一杯な路地。

"魔女と宅急便"の舞台の参考にもなったとされるストックホルム。

決して大きな人口の国ではないのに、その独自な文化が生み出したアイデアや社会のシステムは

世界からも一目置かれる存在である北欧の代表的な国。

僕がいろんな意味で期待し、尊敬し、気がつくといまはもう関係を持つ国にまでなっていた。






そんな僕が訪れる前から好きだったスウェーデンで事件は起こった。

街を歩いて小腹が空いたということで入ったケバブ屋さんでのこと。



画像に映る真ん中の2人組の男。左下に映っている青い服なのが僕。


僕はここで、"自分の席の隣に置いておいたバッグを盗まれた"


その手口は監視カメラでひと通り見てみると、被害者の僕から見ても「プロ。」と言ってしまうほど。

僕の向かい側には友達もいた。それでも彼らは気づかれずに、荒い手口でもなく、バックを盗っていった。

バッグには国際キャッシュカード、クレジットカード、現金4000円、パスポートなどの貴重品が入っている。


現金が引き下ろせない。航空券が買えない。パスポートがないなら強制帰国。


それらがなくなった事実を受け入れようとすればするほど、同時に頭が真っ白になっていきそうになる。


犯人を追う?泣く?警察に連絡する?旅はどうなる?クレジットカードはどう止める?


状態が悪いことの方へとばかりが頭をよぎる自分がいる一方で、

こんなときこそ「強くいたい。」という強がりな自分もいると気づいた。

気を強く保たないと、現実が真っ白な世界に変わる。

そうなってはいけないと言い聞かせるように拳で胸を何度も叩いた。




そして僕はそのときに、"必死に強がること"を選んだんだ。


外の空気を吸い込んで、そのお店の中に戻ると僕の隣には友達がいた。

それは言葉にできないけれども、どれだけ心強かったことか。


そんな状況にあって、僕が笑えたのは、気を強く持てたのは彼のおかげだろう。

日本語で少し冗談や愚痴をこぼしたら、いつのまにか僕の焦る気持ちはなくなっていた。

その時にはもう「警察に連絡しないと、早くクレジットカード止めないと!」

いろいろ考えてくれる友達よりも、落ち着いてる自分がそこにいた。


「この出来事をどう自分の中で受け止めて、切り替えるか。」に僕の頭の思考は移り変わっていた。

そう考えている自分に、少し驚きつつも。





バックは奇跡的に戻ってきた。本当に奇跡的に。

その時にはクレジットカードも、国際キャッシュカードも止めてしまっていたが、

現金が盗られただけで、パスポートも思い出の品もバッグの中に残されたままだった。


バックが僕の手元に返ってくるまでにたくさんの人にお世話になった。

警察署まで連れて行って事情を説明してくれた友達のお母さん。

バックを引き取りにいく為に離れた街まで連れて行ってくれたお兄さん。

可愛さで笑顔をくれたお兄さんの子供のミラベル。

僕のバックを拾ってくれた方。Twitter経由で僕を見つけて連絡をくれた警察署の方。

スウェーデンで起きた嫌な出来事は、たくさんの人に助けられて、あたたかく支えられて、

僕にとって"嫌な出来事"としての記憶ではなく、スウェーデンを好きになる"記憶の一部"になった。



今回の事件で、僕はひとつの大きな大きなメッセージを受けとった。

僕がバッグ諸々を盗難されて気づいた、"一番怖かったこと"。それがどういう意味を持つのか。

それはクレジットカードでお金を使われることではなくて、

国際キャッシュカードでお金を引き下ろされることでもなくて、

パスポートを失い、"僕の旅がもう続けられなくなること"だった。


こんな事件が起こるとは思ってもいなく、スウェーデンまで旅してきた自分。

以前の記事で書いたけど、最近の僕は当てつけもなくヨーロッパの旅に、自分の旅に"不満"を募らせていた。

"日本に帰ってから何をやろうか"を考える時間ばかりが増えていた。

"旅を楽しもう"としていなかった。

いま僕が持つ"旅に出られているという幸運"を忘れていた。


そんな自分にこの事件が起きた時は、目の前に大きな壁がいきなり落ちてきたイメージ。

当たり前にあると思っていた目の前の景色が消えて、

当たり前にあると思って踏み出そうとした一歩の先の道がいきなりなくなっていた。

遅いのだけれども、そうなって強く強く「まだ旅がしたい。」と心から思った。

「旅がしたい、旅がしたい、旅がしたい。」そう必死にこころの中で繰り返してた。

さっきまで持っていたはずの幸せの意味を思い知らされた。





パスポートが戻ってきた時には、うさんくさいかもしれないけど本気で運命を感じた。

「神様がくれたチャンスだって。」

そして、ここに書いているように僕の心境の移り変わりや小さなことまで

あの時の一瞬一瞬を自分の中で言葉にして、大切にしようって。

「きっとこの経験は自分の大きな糧になる。」と、本気で信じられたから。


盗まれた直後、あのお店で必死に強がってよかったと思ってる。

あの時のそれが本当の僕の"強さ"か、それともただの"強がりか"はわからない。

あの時、"恐れのような何か"に負けてしまっていたら、僕はもう今頃日本にいるとおもう。

確かなことは、"今はあの時より強くなった"という自信があること。

"夜は夜明けの前に最も暗い時間がやってくる"

僕のこの世界一周という挑戦も終わりにきて、これは僕への試練だと思った。

絶対乗り越えて、笑顔で日本に帰るよ。待っててね。



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2013年1月16日水曜日

COOLな街。

訪れていただいてありがとうございます。
僕の旅エントリーのおすすめです。ぜひ、読んでみてください。

〜個人的旅ハック〜
旅で英語が出来なくてもいいですか?—ダメです。  世界一周ブログ注目記事3位、旅×英語の僕の意見。
日本人宿は好きですか嫌いですか?   海外で日本人が集まる。。。どう感じますか?
世界一周ブログランキングとの付き合い方。 旅人ブロガーにとってランキングって何?

〜風景〜
また会いたくなるところ。   チェンマイにある日本人の知らないダムに浮いたゲストハウスの記事。
瞑想のその先に。       インド、ジョードプルで瞑想に挑戦してみたときの場所が絶景。
気球に乗ってどこまでも。   カッパドキアでのバルーンフライト、圧倒的な渓谷の景色。
イスラム世界は遠いのか?   ここまでの旅で出会った、イスラムの多様性ある世界とその芸術。

〜想い〜
愛はいつも行動の中にある。  昔の恋愛で見えなかったことがすこしづつ見えてきた時。
インドなんて嫌いだよ。    だれがこんな国をすきになる?。。。。。でも、僕は嫌いになれなかった。
夢を見つけた時。       人は夢を探してるのに、本当に見つけたらどんな気持ちになるかな。ぼくは。。。

沈没しちゃえよ、海外で。   日本にも沈没してる人っていっぱいいるよね。その本質はなんだろう?
旅を終えるのを恐れる長期旅行者。  旅を終えてからこそが楽しいんじゃないの?

ある世界一周者のブログの文章。 
僕が世界一周ブログを書くにあたって考え方を参考にしたブログ。
僕のブログが終わる時、僕自身がこんな人間になっていたいし、読む人にもその考えが伝わるように。 

あの日、前の恋人とした約束。
自分の夢はきっと"自分の大切にしてきたこと、大切にしたいこと"を心で知って、
それにそって丁寧に生きることでしか見えて来ない。僕にとってそれは大切な人を大切にすることだった。

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「ベルリンはヨーロッパで一番COOLな街さ。」

これは僕が旅中に出会った欧米の旅行者に「よかったところは?」と尋ねるとよく返ってきた言葉。

パリ、ロンドンを見たわけではないので確証はないが古い街並みを大事にするヨーロッパの都市でも

比較的ベルリンは近代的な建物が多いのではないかなんて思う。

しかし、近代的な高層建築の並ぶ都市の規模なら負けない国を僕らは知っている。



そう、僕らの日本。



渋谷のヒカリエ、スカイツリー、渋谷のスクランブル巨大モニター、駅に併設したデパートはもちろん、

日本人が思う、色彩の面白みのないビルや覆いかぶさるようにして立ち並ぶビル、どこでも目に入る看板にさえ、

日本を訪れる海外からの旅行者の多くが、それらカメラ片手に興味深そうに歩く姿をよくみた。

東京に住む人にとって、当たり前になっていたこれらの建物が

欧米の旅行者にとっては"印象的な経験"になる。その意味がやっと今回理解出来た気がする。

僕らが目を見開いて楽しむヨーロッパの街並みの景色も、

そこに住む人にとっては、東京に住む人の東京をみる感覚と大差ないのだ、と。

それでも老朽化する日本のビルよりは、歴史の重みが出るヨーロッパの建物に嫉妬しちゃうけど。

ベルリンの街に今もなお残されたベルリンの壁に沿って歩いた。

第二次世界大戦の、米ソの冷戦の歴史が色濃く残された街でもあるベルリン。

メッセージを含んだ絵の数々が並ぶベルリンの壁。



いくつかの戦争にまつわるミュージアムも訪れた。どれも立派なものだった。

"立派"と僕がいった言葉の意味は、その過去の過ちに対する姿勢のこと。

ドイツ国民自身が過去の出来事をどう受け止めているかまでは、僕がわかることは出来なかった。

ドイツ国民に対して「戦争を背負って生きろ。」というのはどこかずれているだろうし、

だからといって、「もう過去のことだから。」とないがしろに出来るものでもない。

そんなことを思い巡らせながら見た展示からは過去の過ちにしっかりと向き合おうという姿勢が現れていたように思う。

それは写真から、文章から、言葉から、感じられた。実際の出来事を本当に良く、事細かく伝えていた。



考えを一転させて、同じく戦争で過ちを起こした日本はどうだろうか。

どこか見習うべきところがあるのではないか。そうふと思った。

僕が知らないだけかもしれないけども、東京に戦争にまつわる博物館が開かれた形であるだろうか。

僕が知る靖国神社に併設された遊就館の展示は、少なくともこことは違った印象を受けた。



第二次世界大戦下のドイツ、怖いのはナチスに国民の支持が集まっていたこと。

当時のドイツ国民がそれを支持してしまいたくなるような国際情勢であったことも考慮に入れる必要があるけど、

ユダヤ人の虐殺、ロマ人の虐殺などの残酷さを当時の人はどう思っていたのだろうか。



人類が過ちを犯すことは止めようがないが、人類は学ぶことが出来る。

戦争が世界からなくなることも難しいけども、人類はそれを願うことが出来る。


どんな戦争下にあっても、敵味方それぞれの兵隊の中には笑顔がある。

そこが本当の平和の落としどころにはならないのだろうか?


なんか変に熱く語ってしまいましたね。。。


ベルリンの郊外、ポツダムにあるサンスーシ宮殿。

そこに飾られた美しい絵画たち。


綺麗なところ、汚れたところ、いくつかのベルリンの側面を見た気がする。

それでもやはり、まだまだ見られなかった側面がたくさんあるんだろう。

東京も負けていないと思うけど、ベルリンはいろんなカルチャーの幅を感じさせられた都市だった。

いろんな人が集まって、いろんな才能が開花する場所なのかもしれない。

友達が告げた「ベルリンはヨーロッパで一番COOLな街さ。」という言葉を僕はこんな感じに解釈してみた。


サンスーシ宮殿にいたカモが可愛かった。おしまい。

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