2013年2月22日金曜日

ACROSS THE UNIVERSE*


旅先の最後の記事になります。今まで読んでいただいて本当にありがとうございました。

たくさんの人に見てもらいたかった僕の気持ちもあったけれども、

僕の奥底では少ない人にだけでもいいから何か残る言葉を紡ぎたい、という気持ちが強かったみたいです。

正解はどちらを選ぶかではなく、選んだ選択肢を信じ続ける事でした。




砂漠の街メルズーガを背にして、マラケシュへと向かうことにした。

砂漠を出る頃になって、砂漠の空は荒れに荒れた。

いつもは宿の屋上から眺められる砂漠の景色は、その姿を砂嵐の中に隠してしまった。

最後に砂漠に挨拶して帰りたいという願いは、どうやら叶いそうにない。

砂漠の砂のオレンジと空のどこまでも青い、色のコントラスト。

それは時間の経過とともに、暗闇の色に向かってひとつになっていく。

星空の時間、夜空もそう簡単に一気に満点の星空を見せてくれるわけではない。

でもその待ちこがれる時間が、星空をいっそう特別に輝いて見えるようにさせる。



砂漠は本当に本当に魅力の尽きない場所だった。

「また来るよ、きっと。」

砂嵐で顔を隠す砂漠に向かって、僕はもしかしたら嘘をついたのかもしれない。

守れる確信のない、無責任な約束をしてしまった。

そしてそれは初めてのことじゃないことも知りながら。

これだけは、反省してもその答えがどうしても見つからないから、どうか許してください。


12時間のバスの行程、僕の乗ったバスはなんと29時間かけて目的地に到着した。

悪天候によって、夜中に越えるはずの3000m級のアトラス山脈を越えられず待ちぼうけ。

はじめのうちは、当てどころのない不満をどう処理するかに苦心したけど、

それもアトラス山脈の大自然がその圧倒的な景色で僕の心を落ち着かせた。

前の座席の隙間からこちらの様子をうかがう子供と視線だけの会話を楽しむ。


前日の悪天候は、モロッコの高地に珍しい雪を降らせたようだった。

アトラス山脈の場合は力を抜くと吹き飛ばされそうな横風。

それでも、バスが進めない状況を楽しむモロッコ人たち。

遠くでおしっこをしようとする男性・・・その後の悲劇は、想像にお任せしたい。

通常通りであるならば、夜に越えるはずのこの山の景色は僕の記憶になるはずもなかった。

でも僕の巡り合わせはこうなった。その中でも珍しくて美しい景色に出会えたのかもしれない。

それを契機に"ないものではなく、あるもの"に感謝して、僕はもう焦るのをやめた。

そして肩の力をそっと緩めて、また固いバスの座席に深く腰掛けた。


マラケシュにはあまりにも遅く到着した。夜も22時を回っている。

待ち合わせしていた旅仲間も僕を心配してくれていた。

合流出来たときの安心感は、きっと旅でそういう経験をした人か、

小さな迷子の子供にしかわからないはず。

それもひとつの旅の醍醐味。ただそうならないに越したことはない。


有名なフナ広場はエネルギーに満ちた場所だった。

果実を充分に絞ってくれたオレンジジュースが忘れられない味。あ、羊の脳みそ、エスカルゴもそう。

蛇使い、猿使い、民族毎に分かれた色とりどりの衣装にリズミカルな音楽。

日本の夏祭りの雰囲気が感じられるのは、子供心を誘うような単純なゲームもあるからだろう。

ヘナを手に描いてもらう欧米人の女性、一風見慣れないようなモロッコの食べ物に食い付く観光客。

ヒッピーは安宿で雑魚寝で寝れば、音楽を奏でてその宿の雰囲気に色合いをくれる。

いろんなものが集まって、ごちゃ混ぜで騒々しいけどそれがフナ広場。決して悪くない。


マラケシュのスークは迷ってはしまうけど、歩きやすいことこの上ない。

観光客の目の輝きに合わせて、一瞬でふっかける値段を決めてくる気だけはいい店の主人たち。

値切りの腕に自信がある人は、ここが間違いなく聖地。(個人的にはブックカバーがおすすめ)

マラケシュでの時間はサハラ砂漠で出会った人たちまた笑いの絶えない時間を過ごした。

そう言ってしまえばどこか内輪な雰囲気にも聞こえるけども、

僕らの会話の中にはいつもと言っていいほどに現地の人や諸外国の人との関わりがあった。

それは僕がどうしたから、とはいえなくて、一緒に旅した先輩たちがどんどん切り開いていく。

英語以上に、コミュニケーション能力が人と人の心を通わせるのを何度も目にして僕は考えさせられた。



マラケシュでその仲間とも別れが来て、僕ともうひとりの方で海の街エッサウィラへ。

もうふたりはそれぞれの予定された旅路に戻った。

顧みれば、僕ら4人は砂漠に導かれるようにして、予定を変えて集まった旅人だった。

旅ってそういうところが、心底不思議だ。

それが今度はどういった芽を、どこで出すのか、楽しみにしたい。

別れはそう捉えると、気持ちを少しの間だけ騙すことが出来る。


海の街、芸術の街、音楽の街、さまざまな顔を持つエッサウィラ。

水が地下の奥底に隠された砂漠から、サーフィンに適しているよく荒れた波が踊る海まで移動してきた。

潮風のにおいを懐かしく感じて、それに乗ってくる魚の少し生臭い香りもいい意味でお腹を刺激する。

そう、この街は海鮮が安くて有名だし、もちろんそれも目当て。


海辺にも街の空にもたくさんのカモメが自由に飛び回る。白がとても青空に映える。

お目当てがあるわけでもない小さな街をカモメのまねしてふらふらと歩き回る。

時間を持て余すかという心配は、約10歳も年齢の離れた人生の先輩の問いかけで必要なくなる。

時間の概念から離れて、考えること、ふたりで語り合うことに意識を傾ける。

人間みんなに必要な時間。つまり、自分と向き合うこと。

自分より人生経験が豊富な人間の、僕というひとりだけの為に向けられた問いかけは、本当に貴重だ。

逃げ場を塞がれ、追い込まれるように自分の気持ちと向き合うことになる。

その機会をも簡単に捨ててしまうのであれば、その人はいつちゃんと自分に向き合うのか?

同世代同士でも語り合うことに意味はある。

でもその多くは"共感"で終わってしまうことが多い気がする。

辛さ、不安、将来というものをどう具体的に噛み砕くかは脇に置かれたまま話が流れてしまう。

それとは違い、人生で自分にはない経験を積んだ大人の方との話しあいは僕らに"教訓"をくれる。

もちろんすべての大人ではないし、語られた教訓が正しいか、自分が受け入れるかに答えはない。

ただ前にも言ったようにその機会は決して多くはなくて、大切にするべきだと思う。

僕は問いかけられた時、どんな言葉で表現しようか苦心する。

言い訳のような言葉を並べたところで、「じゃあ、どうするの?」その言葉が胸をえぐる。

うまく答えられなかったことなんて数えきれない。でも、繰り返すしかない。

空いた時間にふと記憶を取り出して、また考えなおす余裕が旅にはあるから。

いつか自分が社会経験を重ねた立派な大人としてまた旅が出来た時には、

僕なりの経験から導いた考えを持って、問いかけをしてあげる立場になる。そう決めた。


もちろん、今の僕らにだって出来ることはある。

学生らしいシンプルな問いかけが、タイミングによって大人の心の鍵になることもあるのだから。


大西洋はなかなか気性が荒いように僕の目には見えた。

波がブロックに当たって砕けて、豪快なしぶきをあげる。


ふと思いついたこと。

ブロックは今の大人、これからの僕らみたいな若者に例えられるかもしれない。 

社会を支える大人がブロックで、防波堤は守るべき社会の外枠。僕らはきっとまだブロックの予備。

時代の潮流、押し寄せる波に耐えて翻弄されないためにも、ただ世界の流れをそのまま社会に入れずに、

日本社会に入ってくる前にフィルターをかける役目が必要だ。

どんな形で受け入れるのかを、積極的に僕らの意志で決めること。

防波堤の内側が、つまりは社会が安心できる場所であり続けさせる為にも。

でも実際の僕ら多くの若者は、そうするべきなのにその逆に甘えているのかもしれない。

社会という防波堤の内側で社会にただ守られて不平不満をこぼしてばかりかもしれない。

ずっとそうではいられない。大切なものが削られていくのを恐れて見てるだけは嫌だ。

ただもし僕がブロックの役割になったとしてもひとりでは防ぎきれない波がきっとある。

そのためには、僕の短所を助けてくれる人の存在も必要になる。

ブロックの形にも意味がある。

ブロックひとつで波を防げるわけではないのとおなじように。


ここエッサウィラは僕の冒険の最後の街になった。

旅の最後の街とは別だけども、未知の土地に自分で足を踏み入れるのはここが最後と言っていい。

後は来た街を少し戻り、飛行機に乗って親戚の待つアメリカ、ニューヨークに行くだけだから。


「僕の旅はここで終わりか。」


ふと海を見ながら口からこぼれたその僕の言葉が残した余韻は、

旅が終わるのを悲しむというよりは、自分の旅にある分の満足を含んだように聞こえた。

旅に限界なんてないし、満足もない。いい意味でも、悪い意味でもそれを作り出すのは自分自身。

僕は真っ暗闇の未知の先に掲げた目標を達成出来たと思えるからこその僕の満足だと思ってる。

自分を見つめて正直に言葉を紡いだこと。怖くても意見を述べたこと。

自分のコンプレックスを打ち明けれるようになったこと。

旅の中に自分の考え方の変化を見てきた。

そして、ひとつづつ小さな自信を積み重ねてきたから、今の自分がいる。

僕は自分しか出来ない、自分らしい、自分の望む旅が出来たと思ってるよ。


タイから初めて5ヶ月の旅でした。

東南アジアのゆったりとした雰囲気に癒された自分。

インドでの強烈で思い出深く、どこか優しい不思議な経験の数々。

イスラム諸国の僕の知らなかった空気、僕の緊張感。

本物の歴史あるクリスマスマーケットの装飾に目を奪われたドイツ。

盗難で旅の終わりを見せられ、でもそこから立ち直って、思いっきり楽しめたスウェーデン。

あたたかい日差し、羊とオリーブの山々が忘れられないスペインのアンダルシア。

思い入れ深い国になった砂漠を持つモロッコ。

親日な人も、そうでない人からもたくさんの優しさをもらった。


NYは高いビルに囲まれたマンハッタンの街をぶらぶら歩く。

人種が混ざりに混じったニューヨーク。すれ違う人の認識に僕は少しも残りはしないだろう。

僕が世界一周の旅をしてきたことなんて道行く人は誰も知らないし気にしないけれども、

それはたしかに現実のことで、僕のなかに大事にあるもの。

大事なものは目には見えないって知ってるからこれでいいんだ。


ニューヨークの地下鉄にあって気になった絵。あたたかく、ニューヨークが表現されていた。

治安が悪いと言われていたニューヨークの地下鉄はいまはこんな感じです。

そして僕はここに描かれている人たちと出会い、言葉や気持ちを交わしてきた。

そんな僕がここにいる。

大学入学当初の僕が目の前にいても、今の自分を自分とは信じないと思う。

それは僕の成長の証ってことでいいよね。




僕、世界一周してきました。そして、無事に帰ってきました。

ただいま、日本。世界で一番最高な僕の国。


ありがとうございました。

あとは気ままに自分にとって旅とはなんだったかを振り返りたいと思います。

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