2013年1月30日水曜日

旅の喜びを噛み締めた。



スウェーデンでとてもお世話になったグスタフ一家と"再会の約束"をして、お別れをした。

感謝の心でいっぱいだけど、悲しくはない。僕らは絶対にまた会えるから。一度じゃない、何度も。

未来の事はわからないけど、僕がもうそう決めているんだから。僕の人生をね。すべて僕次第。

スペインはグラナダにやってきた。過去にイスラム教徒に征服された際に混じり合った文化が残る美しい街。

その街のある区域、サクラモンテ地区には白壁の美しい家が並び、

その奥には斜面を利用した洞窟式の住宅があることで少し知られているが訪れる旅人は多くない。

山の斜面に作られた家々。街まで降りるのも、街からあがるのもひと苦労。

それでも石畳の道が、どこか優しいような気がする。



ふと、小さな教会を見つけて入ってみた。

聞こえてくる音に導かれてすすむと、小さな教会なのにすくっと立派なパイプオルガンがある。

どうやら練習中のご様子。ここでしばらく足を休めて、優しい音に身体をゆだねて目を閉じた。

教会は考える場所にはちょうどいい。ヨーロッパでは、たまたま見つけるとよく尋ねた。

自分になにかを問いかけたいとき、悩んでいるとき、願い事があるとき。

すべては自分次第だけど、ちょっと勇気をもらう為に、自分の中で踏ん切りをつけたい時に、お世話になった。

日本はお寺だけど、こんな利用の仕方はありなのだろうか。



サクラモンテ地区をさまよい歩いたら、洞窟式の住宅が見えてきた。

発展した市街と隣り合わせで近いにも関わらず、ここでの暮らしの水準は一気に落ちる様が印象深い。

それでも挨拶してくれるおばあちゃんがいて、子供の笑い声が聞こえてくる。

"幸せ"はここにもきっとある。



丘を登っている途中、おもしろい景色に出会った。

あるはずもないようなところに、ソファが景色を見下ろすように置かれている。

"世界の誰かの特等席"

僕の憧れてやってきたここアンダルシアの地の景色を独り占めしている人がいるみたい。ずるい。



僕はグラナダでひとりじゃなかった。フランス人の女の子のクロエ。

ゲストハウスでたまたま出会った彼女は、日本に留学していたらしく日本語もかなり話せた。

料理の学校を卒業し、住みやすい町と働き口を探しながら旅しているクロエ。

そんな彼女の誘いに乗って探検してみた丘で、最高の景色に出会えた。



アンダルシアのなだらかな稜線を描く山々の峰に、奥の高い山は雪化粧している。

木々の背は高すぎない、可愛らしい木陰を形づくる程度の大きさ。

動くとうっすら汗ばむような気温に、風が涼しく通り抜けると、地面の草がなびく音がする。

最高のピクニックポイントだった。

その昔は、羊飼いが歩いてこんな山々を越えていたんだろうなとか、思いを巡らす。



タンポポみたいな綺麗な花が絨毯みたいに広がっていて、ごろんと横になった。

「もう動きたくない。」そんな気分になるほど、僕はここがすきになった。

トリップアドバイザーにも地球の歩き方にも載らない場所。そんな僕の大切な場所。


 持ってきてたみかんが美味しかった。きっとここだけの味。青空に味はあるんだろうか?

青空にかざしてみたみかんが意外に絵になった気がしてびっくり。

酸っぱさが口に広がるのをゆっくり感じながら、ひとつひとつ大事に食べる。


 どうして外国の人はこうも絵になるのだろうか。カメラのレンズを覗きながらそううらやましく思った。

 クロエの髪の毛のカールがふわふわして、風になびくのが可愛くて、綺麗だった。

僕らの丘探検はその後もしばらく続いた。


スペインでは街の街路樹としてみかんが植えられているのを目にする機会が多い。

さっきのみかんは買ったやつだけど、公園の木になってたやつを一個ちょうだいした。

酸っぱかったけど、食べれるくらいになっている。スペインはみかん食べ放題ですか?

僕が勘違いして捕まる前に誰か教えてください。。。


ランチにスペイン語も話せるクロエがおすすめの料理を注文してくれた。

さっぱりとした小麦色の美味しいビール。サービスとしてついてくるタパス。

安くいただける生ハムの数々。いろんなトッピングがされた可愛らしいバゲットとディップ。

日本では高いものがこんなにも一般的に、軽く食べられるのかとスペインに嫉妬しちゃうよ。


さて、夕陽にあわせてグラナダが有名である理由の大きなひとつ、アルハンブラ宮殿を尋ねた。

世界史の教科書で知ってから、行きたいとずっと憧れていた場所。

イスラム建築の最高傑作。キリスト教徒がレコンキスタでスペインを奪い返した際に、

この建築物が美しすぎて壊せなかったという程の彫刻とはどんなものだろうかとずっと思っていた。


魅力的な庭園だった事に間違いはない。

ここで僕はドイツやオーストリアでは雪のせいで見られなかった光景に出会った。

"ベンチで人が寝ている。" "さっきからずっと同じ場所にたたずむ人がいる"

最初はそれを笑いつつも、ふと、自分のほうが間違っているのではないかと思わされた。


「彼らより僕はここの雰囲気を楽しめているだろうか?」という疑問。

ツアーで歩き回る人に比べたら、僕のほうが好きに時間を使っている。

でも、せかせかと歩き回っているのはどちらも共通。

新しい景色との一瞬一瞬の出会いを楽しめてはいるが、、、

目をつむって休むその人は何を感じているだろうか?

同じ場所にずっと座るその人はなにを見られるのだろうか?

そういえば旅に関しても、おんなじような疑問を問いかけた事が多々あったな。


庭園のつくられた意味を、それがつくられた当時の人の気持ちで考えてみた。

手入れの行き届いた広い庭が、歩いて楽しまれた事にもちろん異論はない。

悩みを抱えてひとり歩く事もあれば、好きな人と、客人と会話をしながら歩く事もあったのでは。

それとは別にきっと一番好きなベンチがあったに違いない。一番好きな景色があったに違いない。

時間が過ぎるにまかせて、もの思いにふけった時もあるだろう。

「使い方に正解なんてない。ただ横になるのも、ずっと動かずいるのもおかしい事ではないんだ。」

そんなふうに思い直した。昔の人は、僕らが観光出来るようにつくったわけではないんだから。

そんな当たり前なことを僕は忘れていた気がする。

美しい夕陽を見ながらアルハンブラ宮殿を後にし、その楽しい一日は暮れていった。


その夜、眠る前に僕はその日の出来事を振り返って泣きたくなった。

それは"悲しい"からではなくて"嬉しい"からだった。




スウェーデンを出てからひとりに戻った時、本当は僕は不安に押し潰されそうになっていた。

再出発できる幸運や旅のワクワクよりも、不安や恐怖がこころを半分以上に占めていたのだと思う。

盗難にあい、荷物を失った時の目の前が真っ白になっていく感覚がトラウマのように残っていたし、

手持ちの現金以外にお金がない事の不安さ、スペイン、モロッコの治安問題も僕の不安をかき立てた。


その不安から脱したきっかけは、"偶然の人との出会い"。

そしてそこからつながった"心動かされる風景との出会い"。

このふたつのおかげで、その日の夜に布団にくるまりながら"旅できることの楽しみ、幸せ"を切に感じてた。

アンダルシアの風景に抱かれた時にも、叫びたくなるくらいに気持ちははじけてた。


不安の足枷は、思いもなく簡単に外れた。

「僕は旅がまた出来るんだ。こんな出会いに恵まれて、こんな風景にまだ出会えるんだ。帰国しなくてよかった。」


僕にとってグラナダが離れた今も大きく感じるのはなぜだろうな。

きっと"グラナダの魅力""旅の魅力"がかけ算になって、かけがえない記憶として僕に刻み込まれたから。

こうして僕はまた旅の喜びを噛み締めたのでした。

スペインに関しても書きたい事はまだあるけど、残りの旅の日数の関係でひと記事にておしまいにします。

あしからず。




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