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今日も読んでいただいてありがとうございました。
読んでくれる人のこころになにか残せるように言葉を探します。
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僕の旅エントリーのおすすめです。ぜひ、読んでみてください。
〜個人的旅ハック〜
旅で英語が出来なくてもいいですか?—ダメです。 世界一周ブログ注目記事3位、旅×英語の僕の意見。
あなたは旅にどんな本を持っていく? 小説?マンガ?図鑑?ビジネス本?自己啓発?僕は童話です。
日本人宿は好きですか嫌いですか? 海外で日本人が集まる。。。どう感じますか?
世界一周ブログランキングとの付き合い方。 旅人ブロガーにとってランキングって何?
〜風景〜
また会いたくなるところ。 チェンマイにある日本人の知らないダムに浮いたゲストハウスの記事。
瞑想のその先に。 インド、ジョードプルで瞑想に挑戦してみたときの場所が絶景。
気球に乗ってどこまでも。 カッパドキアでのバルーンフライト、圧倒的な渓谷の景色。
イスラム世界は遠いのか? ここまでの旅で出会った、イスラムの多様性ある世界とその芸術。
〜想い〜
愛はいつも行動の中にある。 昔の恋愛で見えなかったことがすこしづつ見えてきた時。
インドなんて嫌いだよ。 だれがこんな国をすきになる?。。。。。でも、僕は嫌いになれなかった。
夢を見つけた時。 人は夢を探してるのに、本当に見つけたらどんな気持ちになるかな。ぼくは。。。
沈没しちゃえよ、海外で。 日本にも沈没してる人っていっぱいいるよね。その本質はなんだろう?
旅を終えるのを恐れる長期旅行者。 旅を終えてからこそが楽しいんじゃないの?
ある世界一周者のブログの文章。
僕が世界一周ブログを書くにあたって考え方を参考にしたブログ。
僕のブログが終わる時、僕自身がこんな人間になっていたいし、読む人にもその考えが伝わるように。
終わりそうになった僕のブログ。
一度、僕のブログは立ち止まった。そのまま終わろうかと思った。
あの日、前の恋人とした約束。
自分の夢はきっと"自分の大切にしてきたこと、大切にしたいこと"を心で知って、
それにそって丁寧に生きることでしか見えて来ない。僕にとってそれは大切な人を大切にすることだった。
その偶然の出逢いは、「果報は寝て待て。」といわんばかりに、
バックパックを背負った日本人がふたりがマケドニアの友達たちと別れを惜しんだ夜明けとともにやってきた。
「どうせまた1泊2泊で次の街へ抜けてしまうのだろう。」
そのころにはすっかりホステル・モステルで一番長い滞在者になっていた僕は
まるで偉い誰かかスタッフのようにそう、たかをくくっていた。
「僕の好きなストロベリージャムがそのテーブルにある。」
朝食の時の、そんな些細な想いで一緒のテーブルに着いたのが言葉を交わすきっかけに。
"自分とひとまわりくらい違う年齢の大人の方とお話しすること"、僕は好きだ。
むしろこの旅の出逢いで、社会経験を積まれた大人の方と話すことは大事にしてる機会。
敬語や言葉遣いにも気を遣う、肩に力が入る。
でもその身体の力みは"礼儀"というレベルで必要なものだとも思っている。
たまにそんな壁をものともせずにぶっこむことが出来るひともいるけれど、
僕は僕のペースでゆっくりその壁に穴をあけて壁の向こう側に行く派。
それでも「もっとどちらもうまく使い分けられるようになりたい。」とはよく思う。
それは"自分と相手との距離を近づけるための技術"にもなりうるし、
"相手にとっても気持ちのいいもの"にもなるはず。
そんな会話力というか人間力というのは数値化出来ないけども、旅で鍛えられる能力のひとつかもしれない。
もし就活に例えるなら、面接官の大人の方を"自分の進路を阻む敵"と捉えるか、
"将来、自分が一緒に社会に対して仕掛けていく時の先輩のひとり"と捉えるか。
求められているものは、相手を圧倒させられる論理の詰まった完璧な言葉たちではなくて、
相手に共感してもらえる、配慮がみてとれる言葉たちだと個人的には想像してる。
さて来年の自分の言葉は、その人たちの気持ちに届く言葉だろうか。
「もっと親しまれやすいような文章体にしたほうがいいか?」
「読者が受けとるイメージはどうだろう?」
朝食を終えて一杯のコーヒーを啜っていると、そんな会話が聞こえてきて耳をそばだてる。
終いには耐えきれずに「勝手に盗み聞きしてていいですか?」と言って隣にちょこんと座る始末。
おふたりはプロジェクトを抱えながら旅されてる。それに金沢さんの職業はライターである。
ふたりの会話からはビジネスライクな会話が飛び出すけども、それが何より僕をワクワクさせた。
この旅ではじめて出逢った、プロジェクトを企画しながら旅する2人組。
それがこの"退屈ロケット"のおふたり。プロジェクトは"Biotope Journal"というもの。
様々な文化や人種が混じる世界のとある街や国という単位での社会から、そこに住む人たちの居住空間まで
生物学で"生き物の棲み場"という用語"ビオトープ"という言葉で表現していて、
そのコンセプトは"〈非日常としての旅〉から、〈日常の視点をめぐる旅〉へ。"ということ。
僕たち旅人はどう頑張ったって日本の"日常"をもっているのだから"非日常"を旅することしか出来ないけども、
その"非日常"の視点に近づくようになら努力はいくらでも出来る。
自分たちの"非日常"の経験を深く掘り下げてそこから本来の僕らの"日常"見上げた時、
僕らの"本来の日常"はもっと輝くもの、いや、汚れたもの、と気づかされる。考え直される。
僕の旅や伝えたいことは< 異文化を非日常として体験して日本の日常と比べること。>
一見違うように見えても、特殊な体験のように見えても、
"大切にしなきゃいけないことの共通項は日本の中の日常にもある"ということを伝えてる。
そして、考え直す機会を自分と読んでくれる人に。
そんな未熟で何を伝えたいかわからないような文章を書く僕だけど、手段も伝え方も違うけど、
"退屈ロケット"のおふたりのコンセプトに通じることがあるなと思って紹介させていただいた今日のブログ。
そして毎日読みやすい分量の更新があるので、読むひとの"習慣"として、
いずれは日常の一部として興味のある方にはとても意味のあるものだと思う。
紹介としていくつかの文章を引用させてもらいました。
世界のどんな場所で、どんな人々がどのように暮らしているのか。Biotope Journal「人とくらし」では、ある土地での人のくらしようを、毎日ひとつのいとなみに焦点を当てて、1週間をかけてお伝えします。
〜中国のゲイ事情〜
素敵な視点で風景を写真に切り取るスガさんに、一日に何千字もの大人な文章をまとめあげる金沢さん。
早口で、わからないことは残しておきたくないタイプのスガさん。
低い声で落ち着いてものを語る、金沢さん。
性格の両極に見えるふたりのたわいもない会話、ケンカのような会話に混ぜてもらえたことが楽しかった。
それに、何を教えてもらったわけでもないけどその姿勢には勉強になった。やっぱり、社会人だった。
ふたりの旅は2014年の1月までの予定。
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てか、退屈ロケットって名前可愛くないですか?
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〜個人的旅ハック〜
旅で英語が出来なくてもいいですか?—ダメです。 世界一周ブログ注目記事3位、旅×英語の僕の意見。
あなたは旅にどんな本を持っていく? 小説?マンガ?図鑑?ビジネス本?自己啓発?僕は童話です。
日本人宿は好きですか嫌いですか? 海外で日本人が集まる。。。どう感じますか?
世界一周ブログランキングとの付き合い方。 旅人ブロガーにとってランキングって何?
〜風景〜
また会いたくなるところ。 チェンマイにある日本人の知らないダムに浮いたゲストハウスの記事。
瞑想のその先に。 インド、ジョードプルで瞑想に挑戦してみたときの場所が絶景。
気球に乗ってどこまでも。 カッパドキアでのバルーンフライト、圧倒的な渓谷の景色。
イスラム世界は遠いのか? ここまでの旅で出会った、イスラムの多様性ある世界とその芸術。
〜想い〜
愛はいつも行動の中にある。 昔の恋愛で見えなかったことがすこしづつ見えてきた時。
インドなんて嫌いだよ。 だれがこんな国をすきになる?。。。。。でも、僕は嫌いになれなかった。
夢を見つけた時。 人は夢を探してるのに、本当に見つけたらどんな気持ちになるかな。ぼくは。。。
沈没しちゃえよ、海外で。 日本にも沈没してる人っていっぱいいるよね。その本質はなんだろう?
旅を終えるのを恐れる長期旅行者。 旅を終えてからこそが楽しいんじゃないの?
ある世界一周者のブログの文章。
僕が世界一周ブログを書くにあたって考え方を参考にしたブログ。
僕のブログが終わる時、僕自身がこんな人間になっていたいし、読む人にもその考えが伝わるように。
一度、僕のブログは立ち止まった。そのまま終わろうかと思った。
あの日、前の恋人とした約束。
自分の夢はきっと"自分の大切にしてきたこと、大切にしたいこと"を心で知って、
それにそって丁寧に生きることでしか見えて来ない。僕にとってそれは大切な人を大切にすることだった。
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"退屈ロケット"
Jutaro Kanazawa & Takashi Suga
その偶然の出逢いは、「果報は寝て待て。」といわんばかりに、
バックパックを背負った日本人がふたりがマケドニアの友達たちと別れを惜しんだ夜明けとともにやってきた。
「どうせまた1泊2泊で次の街へ抜けてしまうのだろう。」
そのころにはすっかりホステル・モステルで一番長い滞在者になっていた僕は
まるで偉い誰かかスタッフのようにそう、たかをくくっていた。
「僕の好きなストロベリージャムがそのテーブルにある。」
朝食の時の、そんな些細な想いで一緒のテーブルに着いたのが言葉を交わすきっかけに。
"自分とひとまわりくらい違う年齢の大人の方とお話しすること"、僕は好きだ。
むしろこの旅の出逢いで、社会経験を積まれた大人の方と話すことは大事にしてる機会。
敬語や言葉遣いにも気を遣う、肩に力が入る。
でもその身体の力みは"礼儀"というレベルで必要なものだとも思っている。
たまにそんな壁をものともせずにぶっこむことが出来るひともいるけれど、
僕は僕のペースでゆっくりその壁に穴をあけて壁の向こう側に行く派。
それでも「もっとどちらもうまく使い分けられるようになりたい。」とはよく思う。
それは"自分と相手との距離を近づけるための技術"にもなりうるし、
"相手にとっても気持ちのいいもの"にもなるはず。
そんな会話力というか人間力というのは数値化出来ないけども、旅で鍛えられる能力のひとつかもしれない。
もし就活に例えるなら、面接官の大人の方を"自分の進路を阻む敵"と捉えるか、
"将来、自分が一緒に社会に対して仕掛けていく時の先輩のひとり"と捉えるか。
求められているものは、相手を圧倒させられる論理の詰まった完璧な言葉たちではなくて、
相手に共感してもらえる、配慮がみてとれる言葉たちだと個人的には想像してる。
さて来年の自分の言葉は、その人たちの気持ちに届く言葉だろうか。
「もっと親しまれやすいような文章体にしたほうがいいか?」
「読者が受けとるイメージはどうだろう?」
朝食を終えて一杯のコーヒーを啜っていると、そんな会話が聞こえてきて耳をそばだてる。
終いには耐えきれずに「勝手に盗み聞きしてていいですか?」と言って隣にちょこんと座る始末。
おふたりはプロジェクトを抱えながら旅されてる。それに金沢さんの職業はライターである。
ふたりの会話からはビジネスライクな会話が飛び出すけども、それが何より僕をワクワクさせた。
この旅ではじめて出逢った、プロジェクトを企画しながら旅する2人組。
それがこの"退屈ロケット"のおふたり。プロジェクトは"Biotope Journal"というもの。
様々な文化や人種が混じる世界のとある街や国という単位での社会から、そこに住む人たちの居住空間まで
生物学で"生き物の棲み場"という用語"ビオトープ"という言葉で表現していて、
そのコンセプトは"〈非日常としての旅〉から、〈日常の視点をめぐる旅〉へ。"ということ。
—このプロジェクトは、< 異文化を非日常として体験する旅 > から
< 日常の視点から世界をめぐる旅 > へ、旅の視点を転換するこころみ。
みてくれるひとの、私たち自身の、明日からの【日常/非日常】を編み直すヒントになれるように。—
僕たち旅人はどう頑張ったって日本の"日常"をもっているのだから"非日常"を旅することしか出来ないけども、
その"非日常"の視点に近づくようになら努力はいくらでも出来る。
自分たちの"非日常"の経験を深く掘り下げてそこから本来の僕らの"日常"見上げた時、
僕らの"本来の日常"はもっと輝くもの、いや、汚れたもの、と気づかされる。考え直される。
僕の旅や伝えたいことは< 異文化を非日常として体験して日本の日常と比べること。>
一見違うように見えても、特殊な体験のように見えても、
"大切にしなきゃいけないことの共通項は日本の中の日常にもある"ということを伝えてる。
そして、考え直す機会を自分と読んでくれる人に。
そんな未熟で何を伝えたいかわからないような文章を書く僕だけど、手段も伝え方も違うけど、
"退屈ロケット"のおふたりのコンセプトに通じることがあるなと思って紹介させていただいた今日のブログ。
そして毎日読みやすい分量の更新があるので、読むひとの"習慣"として、
いずれは日常の一部として興味のある方にはとても意味のあるものだと思う。
紹介としていくつかの文章を引用させてもらいました。
退屈ロケットのふたりによるプロジェクト。世界各地の若い世代の【人】が、
どんな【空間】でくらし、なにをしているのか。そしてどこへ向かおうとしているのか。
世界のどんな場所で、どんな人々がどのように暮らしているのか。Biotope Journal「空間と人」では、ある空間での人のありようを、毎日ひとつのいとなみに焦点を当てて、1週間をかけてお伝えします。
〜玄関 境目をみきわめて靴を脱ごう〜
—大都市でさえしばしば、あたり構わずつばを吐く人を見かける中国。
しかし海外の文化に触れる機会の多い若い世代を中心に、清潔への意識が向上しています。
そのひとつの象徴が、個人のお宅を訪問したら必ず通る、玄関。
そのひとつの象徴が、個人のお宅を訪問したら必ず通る、玄関。
10年ほど前までは部屋で靴を脱ぐ習慣のなかった中国ですが、現在では、自宅で靴を脱ぐことが一般的です。
ただし、お宅の扉を開けて招き入れてもらったその玄関は、とても曖昧で、目に見えない存在。
ただし、お宅の扉を開けて招き入れてもらったその玄関は、とても曖昧で、目に見えない存在。
日本のように段差があるわけでもなし。床の一部が玄関として使われているだけで、境界の目印もありません。
厳密なものではないので、適当なところで靴を脱いで、部屋に上がりましょう。—続く
〜中国のゲイ事情〜
—自分はゲイだ、とキーちゃんが明確に意識したのは、高校生の頃のことだった。
小さいころから男の子を見ることは好きだったけれどそれがゲイとしての意識にすぐにつながったわけではない。
たとえば中学生のころには、周囲の友達も徐々に色気づき始めて、
「ガールフレンドがいること」がステータスになったりもする。
そんななかで彼も、女の子と仲良く付き合ってみたりした。けれども、しっくりこなかった。
決定的なのは、性的な欲望を感じなかったということだ。
生まれてからいちども、女性に対してそれを感じたことがないんです、と彼はいう。
いろんなことがそっくり同じの、双子の弟はどうなのだろう。
けれども彼は、直接言葉にして弟にそれを確認することは、しなかった。
でも自分がゲイなのだと思ったときから、ごく自然に、弟も同じなのだと感じることができた。
両親へのカミングアウトは、彼に限らず、多くのゲイの人にとってとても難しく、切実な問題だ。
両親へのカミングアウトは、彼に限らず、多くのゲイの人にとってとても難しく、切実な問題だ。
彼の場合は、弟が先にカミングアウトしてしまって、その過程で彼自身のことも両親に知られることになった。
生まれ育ったふるさとは農村だけれど、両親はオープンな考え方の人たちで理解を示してくれた。
ゲイとして生きることの難しさは、もちろんある。
今では微笑みながらまたときには真剣に考え込みながら、丁寧に「ゲイとしての自分」を語ってくれる彼だけど、
自分がゲイだとわかったばかりのころには、やはり深く悩んだ。—続く
興味深い文章やブログと違って決まった固定された視点があって世界の比較が出来ます。
日本語の文章と同時に英語の文章も掲載されてます。読みやすい英語で勉強にもおすすめ。
僕がこの記事を書いたのはもちろん、想うものに共通することがあったのもそうだけど、
もっと基本の大事なことは、おふたりと仲良く気持ちよく付き合えたからこそ。
素敵な視点で風景を写真に切り取るスガさんに、一日に何千字もの大人な文章をまとめあげる金沢さん。
早口で、わからないことは残しておきたくないタイプのスガさん。
低い声で落ち着いてものを語る、金沢さん。
性格の両極に見えるふたりのたわいもない会話、ケンカのような会話に混ぜてもらえたことが楽しかった。
それに、何を教えてもらったわけでもないけどその姿勢には勉強になった。やっぱり、社会人だった。
ふたりの旅は2014年の1月までの予定。
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ふたりのコント写真。
てか、退屈ロケットって名前可愛くないですか?
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今日も読んでいただいてありがとうございました。
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帰国したら会えたりできる関係も作ることがひとつの夢です。
帰国したら会えたりできる関係も作ることがひとつの夢です。
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