訪れていただいてありがとうございます。僕の旅エントリーのおすすめです。ぜひ、読んでみてください。
〜個人的旅ハック〜
旅で英語が出来なくてもいいですか?—ダメです。 世界一周ブログ注目記事3位、旅×英語の僕の意見。
あなたは旅にどんな本を持っていく? 小説?マンガ?図鑑?ビジネス本?自己啓発?僕は童話です。
日本人宿は好きですか嫌いですか? 海外で日本人が集まる。。。どう感じますか?
世界一周ブログランキングとの付き合い方。 旅人ブロガーにとってランキングって何?
〜風景〜
また会いたくなるところ。 チェンマイにある日本人の知らないダムに浮いたゲストハウスの記事。
瞑想のその先に。 インド、ジョードプルで瞑想に挑戦してみたときの場所が絶景。
気球に乗ってどこまでも。 カッパドキアでのバルーンフライト、圧倒的な渓谷の景色。
イスラム世界は遠いのか? ここまでの旅で出会った、イスラムの多様性ある世界とその芸術。
〜想い〜
愛はいつも行動の中にある。 昔の恋愛で見えなかったことがすこしづつ見えてきた時。
インドなんて嫌いだよ。 だれがこんな国をすきになる?。。。。。でも、僕は嫌いになれなかった。
沈没しちゃえよ、海外で。 日本にも沈没してる人っていっぱいいるよね。その本質はなんだろう?
旅を終えるのを恐れる長期旅行者。 旅を終えてからこそが楽しいんじゃないの?
ある世界一周者のブログの文章。
僕が世界一周ブログを書くにあたって考え方を参考にしたブログ。
僕のブログが終わる時、僕自身がこんな人間になっていたいし、読む人にもその考えが伝わるように。
あの日、前の恋人とした約束。
自分の夢はきっと"自分の大切にしてきたこと、大切にしたいこと"を心で知って、
それにそって丁寧に生きることでしか見えて来ない。僕にとってそれは大切な人を大切にすることだった。
2012年12月24・25日、マヤ文明の世界の終焉の暦を超えて"クリスマスイブ"を迎えた日本。
僕は人生ではじめて海外でクリスマスを過ごしている。それもクリスマスマーケット本場ヨーロッパで。
僕は"クリスマス"が大好き。
はじまりはもちろん、世界中のクリスマスを祝う家庭の子供たちと一緒。
朝起きたら欲しかったおもちゃが、赤と緑に金色の混じった綺麗な包装紙に包まれて、
整然と部屋の外に置かれているプレゼントを夢中に開けたあの時からだろう。
小さい頃はその気持ちも、少し不純な理由だったかもしれない。
「大好きなおもちゃをくれるなんて、なんて"クリスマス"は素晴らしいんだ。サンタさん大好き!」ってね。
小学生の頃、その理由に加えてまた違う理由が加わった。
図書室にその時期になると特設される"クリスマス本コーナー"。
そこにある本を読みあさった。お気に入りは北極でおもちゃがいっぱい出てくる本だった。
サンタさんがいい子リストを眺め、小人がおもちゃを作るのに汗をかく。
見開きいっぱいにあふれるおもちゃを見て、「これぜんぶ欲しい!」と思う欲張りな気持ちとは裏腹に
この気持ちがサンタさんにばれちゃったら悪い子リストになってしまうのではないかとびくびくする自分もいた。
ある年のクリスマスに僕は、そうとは知らずに、でも世界中の子供たちがやるように、
「サンタさんにプレゼントがしたい。」と思って準備して迎えた24日があった。
明くる25日、自分のプレゼントはあいかわらずだったが、そのかわりか一通の手紙があった。
その頃では未知の文字である"英語の筆記体"の文字に気持ちは躍り上がるほどの興奮した。
いまその手紙はどこにあるのかもわからないけども。
歳をかさねるにつれて薄々気がついてくる親の存在。
我が家の子育て方針は、"サンタさんを信じさせる路線"だったよう。
もしかしたらあの筆記体の手紙も、プレゼントもすべて親が仕組んだものなのかもしれない。
でも、例えそうだったとしても今もまだ僕の気持ちに残り続けているものは
両親が"クリスマスを仕組む"ことに使ってくれた労力に時間、その気持ちの温かさ。
"かたちあるもの"ではないけども、僕はおかげさまで心からクリスマスが好きだし、毎年楽しんでる。
自分に子供が出来た時、枕元にそっとプレゼントを置く時に、僕は親の気持ちを知ることが出来るのだろうか。
そんな僕の20歳のクリスマス、場所はヨーロッパ。
日本にいた時からも違和感があったが、ここに来てさらにその想いを強めた。
「日本の若者の"クリスマス"って病気みたいだよね。」
そう、留学している友達なんかと共感も出来たこの意見。
"クリスマス"に恋人がいないと焦る日本人。いきなり作ろうとはりきる日本人。
"クリスマス"に恋人がいないことを"否リア"と皮肉る雰囲気。
"クリスマス"なんて自分には関係ないと言いつつ、その想いを振り切ることもできないたくさんの若者、大人。
そんなたくさんの人に必要なのはこんな問題提起だと思う。
"クリスマスはカップルじゃないと楽しめないのか?" — 答えは NO.
日本にその雰囲気が一気に広まった理由は商業的な要因。僕はこの広がり方は批判しない。
むしろ、価値のある提案だったと思う。
プレゼント交換は人の気持ちを温かいものにするし、少なからず"クリスマス"という素敵な一日を
みんなが当たり前のように知るきっかけを作ったのだから。
本場のクリスマスマーケットを見て、気づくことは多々あった。
ホットワインやソーセージといったここ一番の料理を楽しみつつ、集まった友達などとの会話に花を咲かせる人々。
見渡せば老人から大人、若者、子供まで年齢層はさまざま。でも、どこも子供より大人のほうが多い。
上の写真のおじさん、おばさんたちも昔から変わらずにああだったのだろう。
変わることといえば"友達だったひとがいつも自分のそばにいてくれる人になった"ということかもしれない。
それか、大人にとって"クリスマス"は子供の頃の気持ちに戻れるひとときなのかもしれない。
その表情は身が引き締まるような寒さの中でも、優しくゆるんでいた。
僕たち多くの日本人が考え直すべきは"クリスマスの受け止め方"。
商売が広めたクリスマスの祝い方は"祝い方のひとつの形"を示しただけであって、祝い方のすべてではないと。
多くのひとが"クリスマス"を辛くしてしまう原因は"クリスマス"を実はまったく知らないことと、
子供の頃は知っていた、大切なことをいつの間にか忘れていたことだと気づかされる。
宗教的な習慣を理解するのは難しいかもしれない。意識が必要なのは広い意味での
"ただ大切な人を大切にしようという気持ち"
プレゼントは子供へ、恋人へ、なんて制限はなくて、友達、家族、誰にでもあげられるもの。
恋人だけが大切な人じゃない。
プレゼントを受けとった時の、温かい気持ちの共有が幸せな雰囲気をうむ本当の"クリスマスプレゼント"。
それは、家族とでも、友達とでもできること。
ある子供が言った言葉。
「大切なことは、クリスマスプレゼントの箱を開けようとしているわたしの背中の後ろにあるわよ。」
繰り返しになるが日本流の"クリスマス"が決して悪い理由ではない。
キリスト教国でない、世界の各地でもそれぞれのクリスマスが行われているくらいなのだから、
その国独自のクリスマスがあることに不満はない。
ただ日本はこんなにも習慣がに根付いているのに、あまりにも心閉ざして過ごす様子や素直に楽しめない様子は
僕から見ていても、ヨーロッパの人が見ても、もったいないと感じると思う。
クリスマスマーケットの本場を訪れて、知らなかったクリスマスの一面との新しい出逢いがあった。
多くの売られているものとともに、そのモノが作られている意味にも出逢った。
どうか日本人が今年も、これからの人生の"クリスマス"も素直に楽しめますように。
Merry Christmas!!
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あなたは旅にどんな本を持っていく? 小説?マンガ?図鑑?ビジネス本?自己啓発?僕は童話です。
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イスラム世界は遠いのか? ここまでの旅で出会った、イスラムの多様性ある世界とその芸術。
〜想い〜
愛はいつも行動の中にある。 昔の恋愛で見えなかったことがすこしづつ見えてきた時。
インドなんて嫌いだよ。 だれがこんな国をすきになる?。。。。。でも、僕は嫌いになれなかった。
沈没しちゃえよ、海外で。 日本にも沈没してる人っていっぱいいるよね。その本質はなんだろう?
旅を終えるのを恐れる長期旅行者。 旅を終えてからこそが楽しいんじゃないの?
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2012年12月24・25日、マヤ文明の世界の終焉の暦を超えて"クリスマスイブ"を迎えた日本。
僕は人生ではじめて海外でクリスマスを過ごしている。それもクリスマスマーケット本場ヨーロッパで。
僕は"クリスマス"が大好き。
はじまりはもちろん、世界中のクリスマスを祝う家庭の子供たちと一緒。
朝起きたら欲しかったおもちゃが、赤と緑に金色の混じった綺麗な包装紙に包まれて、
整然と部屋の外に置かれているプレゼントを夢中に開けたあの時からだろう。
小さい頃はその気持ちも、少し不純な理由だったかもしれない。
「大好きなおもちゃをくれるなんて、なんて"クリスマス"は素晴らしいんだ。サンタさん大好き!」ってね。
親におねだり目線をおくる子供。
図書室にその時期になると特設される"クリスマス本コーナー"。
そこにある本を読みあさった。お気に入りは北極でおもちゃがいっぱい出てくる本だった。
サンタさんがいい子リストを眺め、小人がおもちゃを作るのに汗をかく。
見開きいっぱいにあふれるおもちゃを見て、「これぜんぶ欲しい!」と思う欲張りな気持ちとは裏腹に
この気持ちがサンタさんにばれちゃったら悪い子リストになってしまうのではないかとびくびくする自分もいた。
クリスマスマーケットのステージは発表会の場にもなる。
ある年のクリスマスに僕は、そうとは知らずに、でも世界中の子供たちがやるように、
「サンタさんにプレゼントがしたい。」と思って準備して迎えた24日があった。
明くる25日、自分のプレゼントはあいかわらずだったが、そのかわりか一通の手紙があった。
その頃では未知の文字である"英語の筆記体"の文字に気持ちは躍り上がるほどの興奮した。
いまその手紙はどこにあるのかもわからないけども。
歳をかさねるにつれて薄々気がついてくる親の存在。
我が家の子育て方針は、"サンタさんを信じさせる路線"だったよう。
もしかしたらあの筆記体の手紙も、プレゼントもすべて親が仕組んだものなのかもしれない。
でも、例えそうだったとしても今もまだ僕の気持ちに残り続けているものは
両親が"クリスマスを仕組む"ことに使ってくれた労力に時間、その気持ちの温かさ。
"かたちあるもの"ではないけども、僕はおかげさまで心からクリスマスが好きだし、毎年楽しんでる。
自分に子供が出来た時、枕元にそっとプレゼントを置く時に、僕は親の気持ちを知ることが出来るのだろうか。
ウィーンのクリスマスマーケット。
日本にいた時からも違和感があったが、ここに来てさらにその想いを強めた。
「日本の若者の"クリスマス"って病気みたいだよね。」
そう、留学している友達なんかと共感も出来たこの意見。
"クリスマス"に恋人がいないと焦る日本人。いきなり作ろうとはりきる日本人。
"クリスマス"に恋人がいないことを"否リア"と皮肉る雰囲気。
"クリスマス"なんて自分には関係ないと言いつつ、その想いを振り切ることもできないたくさんの若者、大人。
プラハのクリスマスマーケット。
"クリスマスはカップルじゃないと楽しめないのか?" — 答えは NO.
日本にその雰囲気が一気に広まった理由は商業的な要因。僕はこの広がり方は批判しない。
むしろ、価値のある提案だったと思う。
プレゼント交換は人の気持ちを温かいものにするし、少なからず"クリスマス"という素敵な一日を
みんなが当たり前のように知るきっかけを作ったのだから。
クリスマスマーケットにたくさん集まる大人、おじいさん、おばあさん。
本場のクリスマスマーケットを見て、気づくことは多々あった。
ホットワインやソーセージといったここ一番の料理を楽しみつつ、集まった友達などとの会話に花を咲かせる人々。
見渡せば老人から大人、若者、子供まで年齢層はさまざま。でも、どこも子供より大人のほうが多い。
上の写真のおじさん、おばさんたちも昔から変わらずにああだったのだろう。
変わることといえば"友達だったひとがいつも自分のそばにいてくれる人になった"ということかもしれない。
それか、大人にとって"クリスマス"は子供の頃の気持ちに戻れるひとときなのかもしれない。
その表情は身が引き締まるような寒さの中でも、優しくゆるんでいた。
クリスマスマーケット定番のポンチュ。グリューワインよりさらに甘く優しい味。
僕たち多くの日本人が考え直すべきは"クリスマスの受け止め方"。
商売が広めたクリスマスの祝い方は"祝い方のひとつの形"を示しただけであって、祝い方のすべてではないと。
多くのひとが"クリスマス"を辛くしてしまう原因は"クリスマス"を実はまったく知らないことと、
子供の頃は知っていた、大切なことをいつの間にか忘れていたことだと気づかされる。
宗教的な習慣を理解するのは難しいかもしれない。意識が必要なのは広い意味での
"ただ大切な人を大切にしようという気持ち"
プレゼントは子供へ、恋人へ、なんて制限はなくて、友達、家族、誰にでもあげられるもの。
恋人だけが大切な人じゃない。
プレゼントを受けとった時の、温かい気持ちの共有が幸せな雰囲気をうむ本当の"クリスマスプレゼント"。
それは、家族とでも、友達とでもできること。
ある子供が言った言葉。
「大切なことは、クリスマスプレゼントの箱を開けようとしているわたしの背中の後ろにあるわよ。」
クリスマスオーナメントのひとつ。
繰り返しになるが日本流の"クリスマス"が決して悪い理由ではない。
キリスト教国でない、世界の各地でもそれぞれのクリスマスが行われているくらいなのだから、
その国独自のクリスマスがあることに不満はない。
ただ日本はこんなにも習慣がに根付いているのに、あまりにも心閉ざして過ごす様子や素直に楽しめない様子は
僕から見ていても、ヨーロッパの人が見ても、もったいないと感じると思う。
バウムクーヘン。
クリスマスマーケットの本場を訪れて、知らなかったクリスマスの一面との新しい出逢いがあった。
キリストの誕生の際の模型。
多くの売られているものとともに、そのモノが作られている意味にも出逢った。
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