はじめて訪れていただいた方、ありがとうございます。
僕の旅エントリーのおすすめです。ぜひ、読んでみてください。
〜風景〜
また会いたくなるところ。 チェンマイにある日本人の知らないダムに浮いたゲストハウスの記事。
自分だけの景色を探して。 ダージリンで眺めた茶畑の美しさに目を奪われた。
一生一度の沐浴。 インド人と並んでガンガーに浸かる。一生に一度の経験。
瞑想のその先に。 インド、ジョードプルで瞑想に挑戦してみたときの場所が絶景。
ダハブな生活。 海に、街に、人に恋してしまうダハブの日常の魅力。
〜想い〜
欠けたもの、気づけたもの。 いざ世界一周に出て知った自分の弱さや本当に求めていたもの。
時間と僕。 小さい頃、時間は友達だったはずなのに。。。いまは競争相手だ。
チャイのコップは投げられた。 コルカタで道を歩いていたら、、、どう受け止めるかの葛藤。
愛はいつも行動の中にある。 昔の恋愛で見えなかったことがすこしづつ見えてきた時。
インドなんて嫌いだよ。 だれがこんな国をすきになる?。。。。。でも、僕は嫌いになれなかった。
夢を見つけた時。 人は夢を探してるのに、本当に見つけたらどんな気持ちになるかな。ぼくは。。。
僕が世界一周ブログを書くにあたって考え方を参考にしたブログ。
僕のブログが終わる時、僕自身がこんな人間になっていたいし、読む人にもその考えが伝わるように。
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昨日の記事、1000件以上のアクセスをいただきました。なんか緊張するけど、自分らしさは失わないように。
順位も再開2日で40位まで戻って来れました。本当にありがとうございます!
寒空の下、ガラタ橋に毎日くり出す魚釣り師たちに橋の欄干は埋め尽くされる。
橋のうえのボックスには大量に釣れたアジなどの魚が市場のように並んだ。
トルコ人、釣りが好きなんだろうか?
ちなみにサバはノルウェー産らしい。トルコじゃないんだ!
ガラタ橋の下に日本人に人気のイスタンブール名"サバサンド"。
トルコの有名なモチモチふわふわのパンに、野菜と塩焼きのサバをはさみ、レモン汁で仕上げ。
ヨーロッパの旅を終えて、アジアに向かう旅人が「癖になる。」というその味。
僕もハマってしまいそうだった。トルコは本当においしい料理が多い。
世界で最も美しいとされるブルーモスク。作られたのは400年も前の話になる。
"ブルー"の所以が旅行者にはわからないかもしれない。
それは外観ではなく、内部の装飾タイルやステンドグラスの青さのことであるから。
なんて偉そうに言ってみたけど、歩いてたら近づいてきた日本語勉強中のトルコ人が教えてくれた。
「ぜんっぜん青くないじゃん。。。色褪せちゃったのかな。」
僕も最初にそう口にしていたしね。
اَلسَّلامُ عَلَيْكُمْ アッ・サラーム アライクム ;as-salaamu `alaykum
アラブ諸国でよく聞く"挨拶"にこんなのがあった。別れ際に、出会った時に彼らが言い合う。
その言葉のやり取りの表情を見ていたら、それが冗談かそうじゃないかぐらいはわかる。
"あなたたちのうえに、平和がありますように"
意味はそんな意味だった。
اَلسَّلام アッ・サラーム;as-salaam
שָׁלוֹם šālôm シャーローム
上がアラビア語で、下がイスラエルが使うヘブライ語。
英語にした時に発音が似ているとおもって調べたら、語源が一緒であることを知った。
どちらも"平和"という意味になる。
こんなに字のかたちが違うのに同じセム語という言葉からの派生らしい。
でも本当に重要なのは字面ではなくて、その意味。
つまりイスラエルやアラブの見える印象や文化の違いではなくて、ただ"平和"ということ。
僕が言いたいのはつまりそういうこと。あれ、伝わったかな?
いつか中東の戦争がなくなって、このふたつの言葉がひとつの挨拶に使われる日が来たらどんなにいいことだろう?
そんな想像をした。こころの奥底では共通した気持ちを持っているはず。
そう考えだしたら、ちょっと嬉しくなった自分がいた。
イスラム文化建築物に対するアラブ人のこだわりにはとても驚かされる。
その人間を圧倒するような大きさからの偉大さ、彩られた装飾の目を見張る美しさ。
イスラム教の世界では"偶像崇拝"が禁止されている。
キリスト教のように教会にいくとキリスト像がある、お寺に行くと仏像がある、ということがない。
イスラムの神様、アッラーは"人智を超えた、形なきもの"とされたから。
他の宗教が自分の神様を信じるために偶像をつくり出そうと必死になる時間に、イスラム世界では装飾が発展したと授業で習った気がする。
曖昧な記憶もモスク内部の装飾を眺めてしまえば「そうだった気がする。」とうなずくしかない。
イスラムには厳しい決まり事がある。ラマダンと呼ばれる断食や1日5回の礼拝など。
でもインドでシーク教を学んだ時のように、厳しい決まりは仲間意識を強くする。
ムスリムが国を超えて、イスラム諸国の連帯を強めているのは一種のおなじ共同体という認識があるから。
女性は人前で肌を出してはいけない。
イスラムの世界は、やはり僕らにとっても独特で慣れない。
女性に話しかけることは躊躇してしまうし、失礼があるのではないかという知らないことからの不安。
正直、僕にとってまだまだイスラム世界は"遠い"存在。
たぶん、他の日本人もキリスト教世界にとってもそう。
でもいつまでもそのままの"遠い"存在なのか? そのままでいいのか?
ただ少しだけ、旅をして彼らに出会って知ったこともある。
イスラムの"信仰"に関することはやはりわからない。
僕が知ったのは、"ムスリムの信仰心の幅であり、人間らしさ"だった。
日本や欧米もそうかもしれない。
イスラム教に対する僕たちの見方は、教義や決まり事の厳しさであり、それにただ祈る姿だけであった気がする。
それは僕たちに偏った見方を持たせて、人を見せてくれる機会はなかった気がする。
ムスリムの中にも自らの宗教の男尊女卑など良くない面に反対する者もいるのは僕らに知られない。
多様性のない存在というステレオタイプを作り上げてしまっている僕らの見方は、
イスラム文化を自分たちの持つ"多様性"という本の1ページにしまい込もうとするが
そこには無意識に、"自分たちとは理解しあえない者たち"というレッテルを貼っている。
これでは本当に文化を学ぶことなんて無理だ。
"尊重"の前提に、この考え方を取り払わなければいけないと僕はおもった。
たまに見かける他の旅人の記事で"本当は〇〇だった○○"といって笑う記事がある。
僕もそれを笑って流し読みしてきたけど、それこそが僕の好きな"人間らしさ"だった。
それがイスラム世界にも僕らの世界にもある"多様性という幅"だった。
そして何よりも"リアル"だった。
実際に旅をしてみても、彼らと触れあう機会があってもその部分に触れるのは難しいと思う。
でもよかったら彼らの"信仰の緩さ"をただ笑い飛ばすだけじゃなくて、人間らしい考えに基づいたものであると感じてみてください。
いまよりはイスラムの世界が近づいてくると思います。
そして僕らの理解が世界を少しづつ変えるのかな、なんておもってます。
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今日も読んでいただいてありがとうございました。
読んでくれる人のこころになにか残せるように言葉を探します。
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帰国したら会えたりできる関係も作ることがひとつの夢です。
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