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チェンマイトレッキング。
チェンマイで有名なトレッキングツアー。僕はいつからか"ツアー"という言葉を毛嫌いしていた。
既成化され、数えきれない数の人間が同じ道を通り、ほとんど同じ経験をする。
それが薄っぺらいものにしか思えていなかったから。
そんな先入観に支配されていました。
もちろん、それが事実でもあるとおもう。
着いた先に待ってましたとばかりにお土産を買わないかとせがまれる事実、
日をまたぐごとに違う人間が来ることに本来の姿が埋もれてしまう事実は存在する。
でも、それが悪いとは簡単には言えないと今回の経験では思った。
需要もあるだろうし、現地の人の生活の糧にもなるのだから。
あまり気が乗らなかったトレッキング。
それでもみほさんが旅行代理店をいろいろ探していて、あまり旅行者が訪れないほうのルートを見つけてくれた。
欧米人向けなので使うのは英語。条件は充分整った。
この機会を逃したら僕はトレッキングには行かない気がしたのも事実。
こうして踏み出せずにいた僕もトレッキングに行くことに。
過程をひとまず飛ばしてツアーを終えてからひとつ見えた答えを先に言うと、
"歩く道は変えられなくても、過ごす時間の濃さと見る視点は変えられる"ということ。
自分次第でもあり、運次第でもありますが一緒に見る人によって、
得られるものも変わるし、変えられるということを実感しました。
この実感も僕が満足のいくトレッキングを出来たからこそ。
象使いに向かって、一日どれくらいゾウは働くのかと質問を投げかける人。
国土が砂漠ばかりの国出身の人は緑豊かな土地を写真に収めるのに夢中になる。
ガイドは機嫌を取ると饒舌にその土地について、民族について語りだす。
日本人だけだと"共感"で終わる瞬間を違う国籍の人といると
"感覚の差"として表れることを楽しむことを僕は見つけた。
稲田を目の前にして食い入るように見つめる日本人は多くはないはず。
僕が話を聞き流す一方で、ある人にとっては稲田を初めて見たというひと時でもあった。
そこから知っているようで、実は知らないことも見えてきたり。
もしツアーを選んだなら、自分だけのオリジナルツアーになるように何が出来るか考えてみてたらいい。
その一歩に自分の判断はあるか。
トレッキングの道程。僕たちの選んだコースはそれなりに道が急なコース。
前日から昼まで降り続いた雨がさらに進む道にいたずらをしてくる。
川を歩き、泥を踏み越えて、竹の橋を渡り、たまに足を止めて景色を眺める。
ひとの表情も疲れた顔から笑顔まで景色とともに変化に富む。
道には本当にたくさんの種類があります。
水の中、泥の中、橋の上、階段、坂道、岩の上、いくつあげてもきりがない。
登山道を歩きながら他の人を見ているとよく思ったことがあった。
「なんでみんなこの道を通るんだろう。。。こっちの道のほうが僕はいいな。」
—誰がどう見てもわかる踏みならされた道があります。
この道を多くのひとは何も考えずにただ道に沿って歩きます。
それになれてしまうと、環境が変わっても気づかず前の人の足跡をやはり踏み歩きます。
道がさらにひどくなりました。転ぶ人、落ちる人が少しづつ出てきます。
それでもその道を考えずに進む人はそのことを受け止めません。
「転んだ人、落ちた人は運が悪かったのだ。」
その彼らは最後に崖に辿り着き、進むことが出来なくなって途方に暮れてしまいました。
それとは別に、途中で道を逸れた人たちもいました。
その人たちは同じ道を歩いていても簡単には前の人がつけた足跡を踏みません。
一歩一歩を自分の判断で運んでいました。
時には楽な道を見つけ、時には遠回りをしてでも安全な道を選び経験を積みます。
彼らには環境の変化と違和感が肌に感じられていました。
時にはひとりで、時には別の人を待ちながら自分の意志で脇道に足を踏み入れていきま
す。
経験と自分を信じることが必要でした。
先の見通しが悪い道を進むと突然と崖に出て視界が開けます。
その反対側には途方に暮れた人たちがいました。
僕が登山の途中にある話を思い出して考えたもの。言いたいことが伝わるかな?
トレッキングで道を逸れる必要はない。ガイドについていくのが一番。
それてしまうと、次の日に遭難記事になっちゃうし。
僕の場合、雨が降って普通歩くトレッキングコースがつるつるになってた。
おなじ道でもおなじように歩く必要はないと思う。僕は自分にとって進みたい道をいつも選んでいる。
登山の歩き方に生き方がでるかもしれないな。
アジアの持つ豊かさ。
秋田と青森にまたがる白神山地をしっていますか?
屋久島と時を同じくして世界自然遺産に登録された白神山地。
世界にも珍しい規模で人の手が全く加えられていないブナだけの原生林が広がります。
屋久島と同じくジブリ映画もののけ姫の舞台でもある。
ブナの幹は白っぽく、その色と葉の緑で統一された森はとても美しくて力強い。
僕はその麓で生まれ育った。
小学校で登山したり、父親に連れられたりで登山は慣れっこ。
登山に余裕が出ると、顔があげて周りの雰囲気を楽しむ。
使う感覚をひとつづつ増やしていく。
自然に耳を澄ませると聞こえてくる、鳥の会話、虫の鳴き声、木のそよぎ。
鼻を利かせると、土のにおいと風の香り、途中にミントのような葉っぱをつまむ。
視野を広げると、どこかへ向かう虫、木を駆け上るリス、あなぐらに隠れる野ネズミ。
道の途中で放し飼いにされている牛に遭遇。
しゃがんでカメラを構えると、どんどん近づいてきます。
牛の顔が目の前にあります。
バックをこずかれたり、服に鼻水をつけられましたがいい奴らでした。
フィリピン留学先の日本人スタッフのあやかさんとの会話を思い出します。
「今晩、焼き肉行きましょうよ!」
「ごめん、私牛肉食べられないの。牛が好きすぎて。」
僕にもこの写真の牛は可愛く感じました。お肉になったら食べますけど。
休んでいた分、数日間は50位台より後半が続くと思いますが
そのあとは一気にまたあがっていきたいと思います。
応援よろしくお願いします。
チェンマイで有名なトレッキングツアー。僕はいつからか"ツアー"という言葉を毛嫌いしていた。
既成化され、数えきれない数の人間が同じ道を通り、ほとんど同じ経験をする。
それが薄っぺらいものにしか思えていなかったから。
そんな先入観に支配されていました。
もちろん、それが事実でもあるとおもう。
着いた先に待ってましたとばかりにお土産を買わないかとせがまれる事実、
日をまたぐごとに違う人間が来ることに本来の姿が埋もれてしまう事実は存在する。
でも、それが悪いとは簡単には言えないと今回の経験では思った。
需要もあるだろうし、現地の人の生活の糧にもなるのだから。
あまり気が乗らなかったトレッキング。
それでもみほさんが旅行代理店をいろいろ探していて、あまり旅行者が訪れないほうのルートを見つけてくれた。
欧米人向けなので使うのは英語。条件は充分整った。
この機会を逃したら僕はトレッキングには行かない気がしたのも事実。
こうして踏み出せずにいた僕もトレッキングに行くことに。
過程をひとまず飛ばしてツアーを終えてからひとつ見えた答えを先に言うと、
"歩く道は変えられなくても、過ごす時間の濃さと見る視点は変えられる"ということ。
自分次第でもあり、運次第でもありますが一緒に見る人によって、
得られるものも変わるし、変えられるということを実感しました。
この実感も僕が満足のいくトレッキングを出来たからこそ。
象使いに向かって、一日どれくらいゾウは働くのかと質問を投げかける人。
国土が砂漠ばかりの国出身の人は緑豊かな土地を写真に収めるのに夢中になる。
ガイドは機嫌を取ると饒舌にその土地について、民族について語りだす。
日本人だけだと"共感"で終わる瞬間を違う国籍の人といると
"感覚の差"として表れることを楽しむことを僕は見つけた。
稲田を目の前にして食い入るように見つめる日本人は多くはないはず。
僕が話を聞き流す一方で、ある人にとっては稲田を初めて見たというひと時でもあった。
そこから知っているようで、実は知らないことも見えてきたり。
もしツアーを選んだなら、自分だけのオリジナルツアーになるように何が出来るか考えてみてたらいい。
その一歩に自分の判断はあるか。
トレッキングの道程。僕たちの選んだコースはそれなりに道が急なコース。
前日から昼まで降り続いた雨がさらに進む道にいたずらをしてくる。
川を歩き、泥を踏み越えて、竹の橋を渡り、たまに足を止めて景色を眺める。
ひとの表情も疲れた顔から笑顔まで景色とともに変化に富む。
道には本当にたくさんの種類があります。
水の中、泥の中、橋の上、階段、坂道、岩の上、いくつあげてもきりがない。
登山道を歩きながら他の人を見ているとよく思ったことがあった。
「なんでみんなこの道を通るんだろう。。。こっちの道のほうが僕はいいな。」
—誰がどう見てもわかる踏みならされた道があります。
この道を多くのひとは何も考えずにただ道に沿って歩きます。
それになれてしまうと、環境が変わっても気づかず前の人の足跡をやはり踏み歩きます。
道がさらにひどくなりました。転ぶ人、落ちる人が少しづつ出てきます。
それでもその道を考えずに進む人はそのことを受け止めません。
「転んだ人、落ちた人は運が悪かったのだ。」
その彼らは最後に崖に辿り着き、進むことが出来なくなって途方に暮れてしまいました。
それとは別に、途中で道を逸れた人たちもいました。
その人たちは同じ道を歩いていても簡単には前の人がつけた足跡を踏みません。
一歩一歩を自分の判断で運んでいました。
時には楽な道を見つけ、時には遠回りをしてでも安全な道を選び経験を積みます。
彼らには環境の変化と違和感が肌に感じられていました。
時にはひとりで、時には別の人を待ちながら自分の意志で脇道に足を踏み入れていきま
す。
経験と自分を信じることが必要でした。
先の見通しが悪い道を進むと突然と崖に出て視界が開けます。
その反対側には途方に暮れた人たちがいました。
僕が登山の途中にある話を思い出して考えたもの。言いたいことが伝わるかな?
トレッキングで道を逸れる必要はない。ガイドについていくのが一番。
それてしまうと、次の日に遭難記事になっちゃうし。
僕の場合、雨が降って普通歩くトレッキングコースがつるつるになってた。
おなじ道でもおなじように歩く必要はないと思う。僕は自分にとって進みたい道をいつも選んでいる。
登山の歩き方に生き方がでるかもしれないな。
アジアの持つ豊かさ。
秋田と青森にまたがる白神山地をしっていますか?
屋久島と時を同じくして世界自然遺産に登録された白神山地。
世界にも珍しい規模で人の手が全く加えられていないブナだけの原生林が広がります。
屋久島と同じくジブリ映画もののけ姫の舞台でもある。
ブナの幹は白っぽく、その色と葉の緑で統一された森はとても美しくて力強い。
小学校で登山したり、父親に連れられたりで登山は慣れっこ。
登山に余裕が出ると、顔があげて周りの雰囲気を楽しむ。
使う感覚をひとつづつ増やしていく。
自然に耳を澄ませると聞こえてくる、鳥の会話、虫の鳴き声、木のそよぎ。
鼻を利かせると、土のにおいと風の香り、途中にミントのような葉っぱをつまむ。
視野を広げると、どこかへ向かう虫、木を駆け上るリス、あなぐらに隠れる野ネズミ。
"豊かさ"の概念が"自然環境に恵まれること"であった時代にタイムスリップした気分に浸った。
道の途中で放し飼いにされている牛に遭遇。
しゃがんでカメラを構えると、どんどん近づいてきます。
牛の顔が目の前にあります。
バックをこずかれたり、服に鼻水をつけられましたがいい奴らでした。
フィリピン留学先の日本人スタッフのあやかさんとの会話を思い出します。
「今晩、焼き肉行きましょうよ!」
「ごめん、私牛肉食べられないの。牛が好きすぎて。」
僕にもこの写真の牛は可愛く感じました。お肉になったら食べますけど。
休んでいた分、数日間は50位台より後半が続くと思いますが
そのあとは一気にまたあがっていきたいと思います。
応援よろしくお願いします。
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