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ツアーでしか行けないビュースポット、日本仏教のお寺、チベット人避難所、
彼の好きな茶畑、工場、軍隊修練所。
彼ら親子と会わなければ決して出会うことの出来ない景色に会えた。
彼を見て学ぶ、ここダージリンの文化もともに。
ダージリンのチベット人。
ひとりで街を歩いて、ラウールに連れられている途中で、よく目にする文字があった。
それは「チベット」の文字。
ダージリン地方の人口の7割はイギリス植民地時代に"労働者"として雇われたネパール人が
占めていると知った。
アーリア系のインド人とはちがう顔立ちはそのせいかと自分の中で納得する。
知識ぶってアーリア系なんて言ったけど、高校の世界史の知識が実感に変わっていくことにひとりにやけた。
ネパールとブータンにはさまれた土地にダージリンは位置する。北には中国のチベット高原。
シッキム王国と最初に述べたが、それは昔にチベットから宗派争いに敗れた王様が建てた国らしい。
「神聖な場所」といわれ連れて行かれた場所にはためく、色とりどりの旗を掲げたロープが印象的だった。
"ひとつの旗が一度風にたなびくのを見ることで、ひとつの煩悩が消える"
でもきっと人が煩悩を消すには世界中の人がこの旗を掲げてもなくならないだろう。
むしろ、"煩悩あってこその人間らしさ" 僕はそう思ってる。
たまに自分の煩悩にイライラすることもあるけどね。
すこし気分がおもくなってしまった僕がいた。
足取りもおもく、ラウールに早くバイクの後ろに乗れと促される。
したをむいたきもちは、うえをむくことで晴れた。
空に雲からすこし顔を出したヒマラヤと澄んだ青空がそこにはあったから。
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世界の違うところで育った同じ年齢の顔が見える。
自分より賢く見えたり、たくましく見えたり。
その刺激を糧に、ひとつ大きい世界で自分自身を考える。
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よく晴れた日の朝。今日はバイクでダージリンを案内してくれると約束をした日。
教えられた通り小さな小道を下り、彼の経営するインターネットカフェが見えてきた。
ゲストハウスがあるわけでもないその小道に面して建てられたこぎれいなインターネットカフェは、
地元の子供たちや学生に頻繁に利用されているようだった。
「よく来たね、いま息子を呼ぶよ。景色を見て待ってなさい。」
山が好きな彼らしい、眺めの良い立地にこのインターネットカフェはあった。
窓からは"シッキム王国"と呼ばれた小さな街がみおろせる。
外でバイクのエンジンのとまる音がする。「じゅんいちさん、息子が来ました。」
「こんにちは、ラウールです。」
写真とはまったく違う、静かで思慮深いような落ち着きを持った印象だった。
「ふたりで、いろいろとシェアしなさい。」キショールが微笑んで言った。
異なる土地で育った同世代の僕ら、お互いの世界を広げることを願って彼はそう言われた気がした。
空は青く、大きな雲がそう遠くない頭上を通りすぎていく。
バイクのエンジン音に会話を遮られながらもぼくらは会話をし続けた。
「今は何を勉強しているの?」「今までどこを旅したことがある?」
「将来はどんな仕事をしたい?」「彼女はいる?」
文化の話からくだらない話まで僕らは言葉を交わした。
語りあいながら気づいたことがあった。それは彼の"気遣い"。
道のひどい道路を、出来るだけ揺れの少ないように僕を運んでくれた。
話す言葉から、バイクの運転から彼の人柄が伝わってくる。
それを確信づけるのが、通りすがる人から挨拶される回数。
彼の家から遠くはなれているにもかかわらず、多くの現地の人に挨拶されていた。
同じ20歳、いまは彼の背中のほうが大きく見えた。僕も負けられない。
「2年後、僕はシンガポールに働きに出るつもりだ。」と彼が言った。
「日本にも近い。待ってるから来なよ。」僕は答えた。
陽が落ちるまで僕らは一緒にいた。
ツアーでしか行けないビュースポット、日本仏教のお寺、チベット人避難所、
彼の好きな茶畑、工場、軍隊修練所。
彼ら親子と会わなければ決して出会うことの出来ない景色に会えた。
彼を見て学ぶ、ここダージリンの文化もともに。
ダージリンのチベット人。
ひとりで街を歩いて、ラウールに連れられている途中で、よく目にする文字があった。
それは「チベット」の文字。
ダージリン地方の人口の7割はイギリス植民地時代に"労働者"として雇われたネパール人が
占めていると知った。
アーリア系のインド人とはちがう顔立ちはそのせいかと自分の中で納得する。
知識ぶってアーリア系なんて言ったけど、高校の世界史の知識が実感に変わっていくことにひとりにやけた。
ネパールとブータンにはさまれた土地にダージリンは位置する。北には中国のチベット高原。
シッキム王国と最初に述べたが、それは昔にチベットから宗派争いに敗れた王様が建てた国らしい。
「神聖な場所」といわれ連れて行かれた場所にはためく、色とりどりの旗を掲げたロープが印象的だった。
"ひとつの旗が一度風にたなびくのを見ることで、ひとつの煩悩が消える"
でもきっと人が煩悩を消すには世界中の人がこの旗を掲げてもなくならないだろう。
むしろ、"煩悩あってこその人間らしさ" 僕はそう思ってる。
たまに自分の煩悩にイライラすることもあるけどね。
ラウールがチベット人の避難所に連れて行ってくれた。
独立を主張して中国と紛争し、土地を追われたチベット人がダージリンにも逃げてきて暮
らしている。
ここの施設はあるチベット人の女性が基金をあつめ、つくられたようだ。彼女の彫刻が大事に飾られていた。
部外者の僕も何事もなく入っていけるほど、穏やかな雰囲気。
広場では粗末につくられたバスケットリングと夢中でプレーする子供たちもいた。
のどかさに、笑い声に、僕も仲間に入れてほしいと声をかけようと思ったが、
一枚のポスターが目に止まり、僕は足を止めた。
「私たちは何人焼かれればいいのか?」
英語のフレーズは思い出せなかったが、そのような意味の言葉に痛々しい焼身自殺の写真、僧侶の写真に×印がつけられているポスターがそこにはあった。
僕のあたまは考えはじめ、結局そのあとに僕がバスケットボールに触れることはなかった。
木で作られたふるいチベットの新聞。
すこし気分がおもくなってしまった僕がいた。
足取りもおもく、ラウールに早くバイクの後ろに乗れと促される。
したをむいたきもちは、うえをむくことで晴れた。
空に雲からすこし顔を出したヒマラヤと澄んだ青空がそこにはあったから。
世界の違うところで育った同じ年齢の顔が見える。
自分より賢く見えたり、たくましく見えたり。
その刺激を糧に、ひとつ大きい世界で自分自身を考える。
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今日も読んでいただいてありがとうございました。
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次でヒマラヤを記事にして、ダージジリン編終了です。
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帰国したら会えたりできる関係も作ることがひとつの夢です。
じゅんちゃん!久しぶり!みずきです!
返信削除ダージリンものすごく良さそうだね!!!
行けばよかった!!!
チベットに興味持ったら
ダラムシャラ―お勧めするよ!!
俺はダラムシャラ―で避暑してただけだけどwww
瑞希さんお久しぶりです:)コメントありがとうございます。
削除ダラムシャーラーもいいって聞きますね!チベットはぜひ、青海鉄道乗っていってみたかったんですが。。。今回の旅では無理でした。みずきさんの写真見ました!ヨーロッパであの髪型は寒そうですねw 旅後半ですか?最後まで楽しんで大学出会えるの楽しみにしてます!