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マザーハウス。
コルカタにはマザーテレサが眠る、マザーハウスがある。
コルカタの重病、精神障害、身体障害、瀕死、さまざまな障害や問題を抱え、見捨てられた人、養いきれなくなった人が集められ各施設に振り分けられる。
活動資金は彼女自身が作ったキリスト教宗派"神の愛の宣教者会"から。
小学校の頃、偉人伝を読むのが大好きで図書室の世界の偉人伝シリーズは全部読んだ。
その頃から知っていたマザーテレサがいた場所にどういう巡り合わせか今やってきた。
しかし、すでに10年くらいの年月が空いているせいか物語がいまいち頭に浮かんでこない。
誕生日がおんなじ、トーマス・エジソンならはっきり覚えてるのに。
Wikipediaで調べてみたら、マザーテレサの大きさを思い知った。
テレサのつくった"神の愛の宣教者会"の目的は「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働くこと。」
そしてケアする相手の状態や宗派を問わないテレサたちの活動は世界からも関心を持たれ、世界のテレサとなっていく。
12歳の時にはすでに、将来インドで修道女として働きたいという想いを持っていたという。
インド、コルカタで最初は地理の授業を持った。ユ—モラスな授業で大人気だったとい
う。
彼女自身曰く、ある日汽車に乗っている時に啓示があったらしい。
〜全てを捨て、最も貧しい人の間で働くように〜
最も有名なものは、ノーベル平和賞(1979年)。
テレサは授賞式の際にも特別な正装はせず、普段と同じく白い木綿のサリーと皮製のサンダルという粗末な身なりで出席。
賞金19万2000ドルは全てカルカッタの貧しい人々のために使うことを決め、授賞式の場においては、「私のための晩餐会は不要です。その費用はどうか貧しい人々のためにお使い下さい」とも要望した。
賞金を受け取った時、「このお金でいくつのパンが買えますか」と言ったという。
戦争から最も遠くはなれたひとりの人間の行動が、戦争を一時止めたなんて。
1997年9月5日、世界が見守る中、テレサは87年の生涯を終えた。
宗派を問わずにすべての貧しい人のために働いたテレサの葬儀はインド政府によって国葬として盛大に行われた。
彼女の死は国家的な損失であるとインドの人々は嘆き、世界の人々も彼女の偉大な働きを思って追悼した。
その葬儀には各宗教の代表者が参列し、宗教の枠を超えて尊敬されたことを象徴するものとなった。
ノーベル平和賞受賞の際のインタビューの中でこんな質問があった。
「世界平和のために私たちはどんなことをしたらいいですか」
テレサの答えはシンプルなものであった。
「家に帰って家族を愛してあげてください」
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コルカタの重病、精神障害、身体障害、瀕死、さまざまな障害や問題を抱え、見捨てられた人、養いきれなくなった人が集められ各施設に振り分けられる。
活動資金は彼女自身が作ったキリスト教宗派"神の愛の宣教者会"から。
小学校の頃、偉人伝を読むのが大好きで図書室の世界の偉人伝シリーズは全部読んだ。
その頃から知っていたマザーテレサがいた場所にどういう巡り合わせか今やってきた。
しかし、すでに10年くらいの年月が空いているせいか物語がいまいち頭に浮かんでこない。
誕生日がおんなじ、トーマス・エジソンならはっきり覚えてるのに。
Wikipediaで調べてみたら、マザーテレサの大きさを思い知った。
テレサのつくった"神の愛の宣教者会"の目的は「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働くこと。」
彼女たちはケアする相手の宗教を尊重する姿勢を貫き、亡くなった者に対しては、その者の宗教で看取る姿はインド中からも賞賛され、テレサはインドのテレサに。
そしてケアする相手の状態や宗派を問わないテレサたちの活動は世界からも関心を持たれ、世界のテレサとなっていく。
12歳の時にはすでに、将来インドで修道女として働きたいという想いを持っていたという。
インド、コルカタで最初は地理の授業を持った。ユ—モラスな授業で大人気だったとい
う。
彼女自身曰く、ある日汽車に乗っている時に啓示があったらしい。
〜全てを捨て、最も貧しい人の間で働くように〜
彼女の活動には、教皇からもその活動を多いに賞賛され、数多くの賞を得た。
ケネディー賞(1971年)、アルベルト・シュバイツアー賞 (1975年)、アメリカ合衆国大統領自由勲章(1985年)、アメリカ合衆国名誉市民(1996年)、議会名誉黄金勲章(1997年)、アメリカ合衆国名誉市民としては5人目(存命中はチャーチルに次いで2人目)、またアメリカやその同盟国の政治家・軍人以外としては初めての授与もあった。
最も有名なものは、ノーベル平和賞(1979年)。
テレサは授賞式の際にも特別な正装はせず、普段と同じく白い木綿のサリーと皮製のサンダルという粗末な身なりで出席。
賞金19万2000ドルは全てカルカッタの貧しい人々のために使うことを決め、授賞式の場においては、「私のための晩餐会は不要です。その費用はどうか貧しい人々のためにお使い下さい」とも要望した。
賞金を受け取った時、「このお金でいくつのパンが買えますか」と言ったという。
1982年にはテレサはイスラエルとパレスティナの高官にかけあって武力衝突を一時休止させ、戦火の中で身動きがとれなくなっていたベイルートの病院の患者たちを救出している。
戦争から最も遠くはなれたひとりの人間の行動が、戦争を一時止めたなんて。
1997年9月5日、世界が見守る中、テレサは87年の生涯を終えた。
宗派を問わずにすべての貧しい人のために働いたテレサの葬儀はインド政府によって国葬として盛大に行われた。
彼女の死は国家的な損失であるとインドの人々は嘆き、世界の人々も彼女の偉大な働きを思って追悼した。
その葬儀には各宗教の代表者が参列し、宗教の枠を超えて尊敬されたことを象徴するものとなった。
ノーベル平和賞受賞の際のインタビューの中でこんな質問があった。
「世界平和のために私たちはどんなことをしたらいいですか」
テレサの答えはシンプルなものであった。
「家に帰って家族を愛してあげてください」
今日も読んでいただいてありがとうございました。
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